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小さな英語教室

By Yuri Kiba / キバ・ユリ

オーストラリア人の夫と結婚し、シドニー在住歴24年の筆者が、学校とは離れた教育の場で、子供たちを見ていて感じたこと、考えさせられたことを紹介するコラムです。
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Yuri Kiba / キバ・ユリ

Vol. 51 : 宮部みゆき『模倣犯』にまつわる話

 「オックスフォードからの手紙」の連載の最中、しかも、大学のレポートや確定申告、シドニーから来る客の旅行のアレンジなどの雑多な仕事が多い中、映画を見る前に読んでおこうかと手にした3,500ページの大作。「あっ、いけない!」と思ったときにはすでに遅く、のめりこんで、数日間ほかの仕事は放りっぱなし。

 こつこつと勉強をやらない生徒をしかることができないのは、私自身、このような衝動性があるからで、英検間際になると、髪を振り乱してヤマタノオロチと化した教師のペースに合わせる生徒たちに同情します。その割に合格率が良いのは、試験のないときは子供たちの好きな物語を教材に使っているので、緊張とリラックスのバランスが良いからではなかろうか、との自説を立てているのですが、現実は、教師のパニックに対処する生徒たちの自己防衛能力が優れているからだと確信します。

 今回も、読み終えたあと、雑事など気合を入れればすぐに終わるだろうと強気でいたのですが、物事には例外があるようで、京都の旅館など、3月末の先斗町界隈はほとんど満室。しかも、時期的に素泊まりはお断り、2食付のみということで、「がめついなー」などとぶつぶつ言いながらも、シドニーからの客のために朝からネットと格闘し、予約をとり終えたのは夜7時。PCの電源を切ったあと外を見たら、スクリーンの四角の残影が、夜空に浮いていました。

 かといって後悔はなく、読み終わったあとの満足度は星5つ。多くの推理小説のように、飛ばし読みでも筋は分かる、というものではなく、親を殺された子供、子供を殺された親、崩壊した家庭の子供、先天的な病気を抱えた子供と親など、「生きる」という重荷を背負った人々と、それを助ける人々の人間関係が多様にからみ、会話も含蓄があって、誰かが一度は発したであろう生の声のようで、時々本を置いてため息をついたり…。

 先天性でまれな視覚障害を、教師が発見し、知的障害ではなかったのだと安堵した少年の姿は、最近見たドキュメンタリー「難病と闘う子供たち」と重なります。太陽光線に当たると皮膚がんを引き起こす色素性乾皮症。女の子にのみ現れる進行性神経疾患のレット症候群。読んで字のごとくの無痛無汗症。近年それらの症状が明らかにされ、専門医も出、子供たちの環境は改良されつつあります。もちろん、親の苦労や悲しみは変わりませんが、病気として社会に認識されていなかった一昔前、また、障害児に対して決して優しくなかった日本の社会で、障害児を持つ家庭は、想像を絶する思いで生きてきたのであろうと思います。

 私が7歳のころ、近所に、知的障害がある子をかかえた家があり、その子の姉と仲が良かったので、時々遊びに行きました。ある日、家の中央の長い廊下をすべって遊んでいる最中、際にあった薄暗い部屋の中を何気なくのぞき、2つの大きなたんすの間に、誰かが寝転んでいるのに気が付きました。よく目を凝らしてみると、それは少年でした。驚いて台所に行き、おばさんにそのことを話したら、食器を洗っていたおばさんは、振り返って私の顔をじっと見つめ、こもった声で「うん」と言っただけでした。

 最近、母にその話をしたのですが、私がその家に遊びに行ったこと自体、大変に驚いていました。母も近所の人たちもお付き合いはしていましたが、その家に行ったことはなかったようです。母によれば、姉の方は後年、教師になりましたが、お嫁のもらい手がなく現在でも独身だとか。今だったら、彼は少なくとも施設に入るなりの処置はされていたのだろうと思い、当時の社会の閉鎖性に胸が苦しくなります。青白い少年のきれいな顔、うろたえたようなおばさんの顔。幼少でしたが、強烈に頭に焼き付いています。

 『模倣犯』はまた、最近読んだ "Shot in the Heart"(Mikal Gilmore著。村上春樹訳「心臓を貫かれて」)も思い出させます。この本は、少年の頃から刑務所入りを繰り返し、最後に強盗殺人罪で死刑となった兄について、後に音楽評論家となった弟が書いたもので、荒れた家庭が蝕んでいく子供の心は、シロアリが家を徐々に食いつぶしていく過程を観察しているようです。殺人犯の悲しみ、残った兄弟の苦悩…。『模倣犯』は、巻き込まれた者でないと分からない被害者側の苦しみをも描きます。「ああしてりゃよかった、こうしてりゃよかった」と自分たちを責める。「人殺しが醜いのは、残ったまわりの人間を、じわじわ殺してゆくからだ。そうして腹立たしいことに、それをやるのは人殺し本人じゃない、残された者が、自分で自分を殺すんだ」…。悲痛としか言いようがありません。

 さて、本の内容は棚に置いて、この本に読むにあたってのばかばかしい話を一つ。私はたくさん本を購入するので、予算上、ほとんどが文庫か古本です。この『模倣犯』は古本の単行本でしたが、珍しく新品同様。だから、読んだあと売ろうかな、などというけちな考えから(結局売らないことにしましたが)大事に読むことにしました。問題は風呂の中。1時間近く入っているので、理想的な読書場です。そこで本の保護のため、生徒の侑ちゃんから教わったアイデアを試してみることにしました。まず、ビニール袋と輪ゴムと消しゴムを用意。ビニール袋の中に本と消しゴムを入れ、輪ゴムで閉じる。消しゴムは粘着性があるので、ページをめくるときに使用するのだそうです。それを風呂桶のカバーに立てかけてやってみたけれど、完全にガセネタ。第一にビニールのしわで読みにくい上に、湯気で次第に曇ってくる。消しゴムにいたっては、無用の長物で…。まあ、これ以上説明しません。試すほうも試す方だと、笑われそうです。

 『模倣犯』の映画は、上映場所をネットで調べていたら、評判芳しくなく、試写会の途中で宮部みゆきが退出したという情報に至って、「ハイ、それまでよ」。

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