今のところ試験に切羽詰まっていない生徒たちと『英語で読む世界昔ばなし』とやらを読んでいたら、「アリババ」という名前に、私の頭脳は一時停止となりました。赤信号で、人は何かほかのことをポッと考える瞬間がありますが、そのとき、私の頭をよぎったのは、大変に気難しい姑の世話を、周囲が感心するほどの技でうまく扱っている妹の顔でした。30代のころ胃潰瘍にまでなったそのストレスを、今は、分かってくれる人たちを笑わせ、その笑いに自分も大笑いすることで解消しているようです。その冗談の一つがアリババ。妹が姑につけたあだ名です。「在りのままに生きてるババア」という意味だとか。思い出し笑いをした途端、再び現実にもどり、一瞬沈黙した私を見ている生徒の顔が視界に入って、信号は赤から青へ。せき払いをしてからレッスンを続けました。
先日、その妹から電話があり、わが家の父が動けなくなり、これ以上母が面倒を見られないから施設に送ることにしたとのこと。ボケも大分進行しているようです。私は、「シドニーの客が帰ったらすぐ行くわ」と言って電話を切りましたが、驚くほど感情の起伏は起こりませんでした。有吉佐和子の『恍惚の人』と同じです。困惑する中、ボケの老人を抱えて苦労している家族の話には微妙なところにペーソス(哀感)がある。出版された当時、ドタバタ喜劇と受け取り、笑っただけの個所が、今、痴呆気味の父を抱えて再読してみると、笑いの背後に何とも説明しがたい静寂を感じます。
小説の主人公昭子と妹は、性格的に似ており、ともに家族は救われています。違いと言えば、すでに姑との確執で胃潰瘍を経験済みの妹は、年寄りの扱いはお手の物。近ごろのわが家の父も、テレビの中身と現実を混同して支離滅裂なことを言いますが、そんなとき妹は、叱責もせず無視もせず、うまくかわす。テレビに北海道の様子が映り、父が「明日、北海道にジョッギングに行かなきゃならん」などと言うと、妹は「明日の北海道は雨だそうだよ」と流します。すると父は「じゃ、やめとくか」と微妙に納得するのです。また、プロレスを見て、「力道山が隣の部屋にいる」などと気味悪いことを言っても妹は「これを機会に、一発殴られれば、ボケが少し良くなるかもしれない・・・」と冗談を飛ばし、介護に疲れ果て、般若のような顔をしている母を大笑いさせたりします。
しかし、先日の電話では、ここ数週間でボケは大分悪化したようで。(妹の名前は妙子といいますが)
「妙子! ○○医院へ行って死亡証明書をもらってきてくれ!」
「……。お父さんまだ生きてるのに、どうやって死亡証明書なんてもらうのよ」
「火葬場の予約をしなきゃあならん」
「……。そんなこと私たちがきちんとやってあげるから、心配しないでいいよ」
「…ところで骨はどこだ」
「骨なんて体にまだあるじゃない」
「足の骨だ。私立病院にあずけてある」
「………。部分的に焼いちゃったの?」
と言ったかなり深刻な状態です。
母が腰を痛めてから、わが家では父を何度か短期の施設に入れました。しかし大変プライドの高い人で、施設の方でも手を焼き、送り返されてきたこともあります。また、家に帰りたいため、施設から「今、○○デパートにいるから迎えにきてくれ」と、うその電話をかけ、デパートの店員さんをも巻き込んでの大変な騒動を起こしたことも…。今度も施設でどんな騒動を起こすか分かりませんし、母は「かわいそうだ」と言う。しかし、いつもいら立って父を叱る母を見、施設へ入れた方が双方とも幸せだと判断した妹が、母を説き伏せ、20年以上の介護に疲れ果てている母は泣きながらも同意しました。
現在、母の所には、ケアーマネージャーやヘルパーが頻繁に訪れ、また、ショートステイやデイケアのサービスも受けています。これらの用語は、昭和57年に書かれた『恍惚の人』の中には見付けることができません。日本の高齢者福祉には問題点が多くあり、母も不満をこぼします。しかし、わずか26年前のこの小説と比較すれば、私の目には着実に向上しているように映ります。もし、わが家のような事態が『恍惚の人』と同時代またはそれ以前に起きていたと想像すると背筋が寒くなります。
この春休み、生徒の一人は、おばあちゃんの具合が悪く、母親と共に実家に帰りました。あと一人の生徒は、去年おじいちゃんが亡くなるまで、母親が札幌と東京を行ったり来たり。もう一人のお母さんは、介護でピアノの教授を一時停止。病気の老人を抱える女性の生活パターンは、男性と比較して大きく変わるようです。これは、もう一つ別の考えるテーマかもしれません。
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