私の生徒のお母さんが学校の懇談会に出席したときに出た話です。小学校低学年の試験に、「東京で普通に見られる鳥の名前を3つ挙げなさい」という問題が出ました。大概の子はカラス、スズメ、ハトという名を挙げたようですが、一人、「メジロ」と答えた生徒がいました。担当の先生が感心して、残り2羽の名を見たら、「スガモ(巣鴨)」「タカダノババ(高田馬場)」と書いてあったとか。先生曰く、「究極に立ったときのユーモアというものは日本人に欠けています。このユーモアを大切にしたいと思い、全部マルにしました」とのこと。
究極の際のユーモアというのは、日本人だけでなく誰にとっても難しいものだと思います。ただ、いくつかの外国語を学び、海外生活が長かった私が思うに、日本人というのはなかなかユーモアがある人種ではないでしょうか。残念なことに、日本人のユーモアは日本語のあやから生まれるものが多く、翻訳が不可能でなかなか外国人には伝わりませんが、伝わらなくても結構。古くは、狂言・落語などがあり、笑いが文化として残っているのは誇りにできるものだと思います。
まあ日本では、わからない個所は空欄にせず、何か書けば点をもらえるだろうという風潮があり、そこから面白い解答も出てくるのでしょうが、日ごろ子供たちに接していると、日本語が未熟な分無理があって、おもしろい表現によく笑わせられます。その類の話は、現職の先生の方がネタは多いと思いますが、私が高校のとき、「長塚節について書きなさい」という問題に、「民謡の一種で…」と答えた生徒がいて、先生が笑っておられたのを思い出します。私の姪は、この手の逸話には事欠かず、英語のattendの意味として「紙おむつ」と書いたり(アテントという製品の紙おむつがある)、「ベートーベンはウィーンの教会で何と何を使って勉強したか」という問いに「机と椅子」(正解は楽器の種類だと思いますが)と書いたりして、一時は妹が頭を抱えておりました。
私の生徒の中にも、突拍子もない答えを書く子がいます。お母さんいわく…「先生、本当に嫌になるわ。この間、理科の試験で『二つの電池と豆電球がつなげてあるが豆電球がつきません。その理由を挙げなさい』とかいう問題があって、何て答えたと思います?『豆狸が化けて出たから』ですって。先生の採点も『あら、大変!』なのよね」…。自分の子供ではないので、私は、困った挙句のこのような解答は賞賛するのですが…。
最近は俳句を教える小学校も増え、例の豆狸の彼女も、私がおもしろがって読むので、よく見せてくれます。彼女が小2のときに読んだ俳句は今でも持っています。切実な心情を訴えた作品で、「むしばさん、あっちへいってよ、こまります」。
そんな彼女も4年生になり、「風鈴の 止まった夜は 暑さ増す」など、まともな句を読むようになりました。中には、「家の叔父、スキーが好きだと しゃれを言う」などの川柳っぽいものもありますが、とても良い点をもらっているようです。小学生の俳句はよく新聞にも掲載されますが、今でも覚えているのは、「夏休み ぼくも田舎がほしいな〜」というもの。採点する先生方も楽しいでしょうね。
さて、学校とは別に、日本人独特のユーモアと最近の日本語の復古調が同時に見られるものにペットの名前があります。同僚や知人から話を聞きますが、そのユニークさは外国とは比較になりません。獣医に行くと看護婦さんがペットの名前をフルネームで呼ぶそうですが、「木下(苗字は仮名)蜂蜜ちゃ〜ん、染五郎クーン、恭四郎クーン。三人(?)まとめてお入りくださ〜い」とか、受付用紙を前にした看護婦さんから「苗字は佐久間でよいですね」「ハイ」「お名前は?」「テッペイです」「テッペイ君は、テツは鉄ですね」「ハイ」「ヘイは兵隊の兵ですか?」「いいえ。平家の平です」とかいう会話も交わされるようで、私なんか「どっちでもいいじゃん」と思ってしまう。
「アレックス君なんて呼ばれてさっそうと診察室に入って行くコリー犬なんかを見ると一瞬引け目も感じるわよ」というのは妹の知人。テリヤを二匹飼っていて、「ひじき」(毛先だけが黒い)と「わかめ」(緑がかった黒)。中には「シジミ」という名前を付け、「もっと高い貝にしたら?かわいそうじゃない。『ホタテ』までいかなくてもいいからせめて『ハマグリ』とか『アサリ』とか…」なんて言われている方もいますが、皆さん冗談で付けているのではなく、理由があるんですよね。それに、日本語の名前だからこそ連鎖的に出てくる笑い。これが「アレックス」や「ジョン」だったらこんな笑いは出てきません。
ちなみに、わがST編集長の家のミドリ亀は「玉川亀吉」。亀としては平凡な名前でも、フルネームで呼ぶと、なかなか粋じゃ〜ありませんか。
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