なぜ今白洲次郎の書が売れるのか。白洲が1951年から5年間書いた論評の中から、出版社が『プリンシプルのない日本』と題名をつけて売り出したのは、そのタイトルならば、今なら売れると言う読みがあるからだ。日本人が、プリンシプルを貫く白州のようなかっこ良さを望んでいるところに市場があるからだ。裏を返せば、今の日本は、保身のためにはプリンシプルを捨てる人間が多すぎることを証明しているからにほかならない。
近年その最たるものは、郵政民営化を問うた先の選挙で、自民党を追われた11人の復党であろう。党幹部が「メディアが騒ぎすぎる」「離党・復党は始終あることだ」などと弁明しても、われわれ国民には納得のいくものではない。白洲の哲学から言えば、「自由"民主"党に『国民の国民による国民のための政治』という民主主義のプリンシプルがない」ということになる。
党幹部は「多少の騒動はあっても、次の参院選までに国民は忘れるであろう」と計算しているらしいが、政治家のご都合主義に妥協するほど、今の国民は馬鹿ではない。時代が変わってきているのである。党内でも筋を通すため明確な態度を示す議員が現れた。復党反対の山本一太議員しかり、誓約書に判を押さなかった平沼議員しかりである。
この平沼議員の存在は大きい。全員が復党していたらこれだけ大きな問題にはならなかったろう。平沼議員に多くの称賛が浴びせられたのは、白洲次郎の本が売れている世相に相通ずるものがある。ただ一人、保身を考えず、自説を曲げなかったところに国民はかっこ良さを覚えるのである。
教育界などプリンシプルがないという点で右に並ぶものがない。堺屋太一氏の言う「企画大量生産型の近代工業社会にふさわしい人材を大量に育成する戦後教育システム」が、すでに時代遅れとなりうまく機能しておらず、それが現在多くの問題を生み出している原因だという大局的な討論をする人間は文科省にはいない。縦割りの教育システム・中央からの指導要綱等の抜本的見直しなど念頭にあらず、現今の教育対策は応急措置ばかりだ。応急措置を施せば、一応は手当てをしたように見えるし、責任を取る必要がないというところだろう。
私の文科省嫌いは個人的なもので、コラムにも以前書いた。ところが、吉田内閣の下で戦後処理に当たった白州次郎も後に「当時の官僚の中で内務省はガッツがあった。だらしなかったのは外務省、一番馬鹿だったのは文部省だった。今でもそうだろう」と言っている。「おっしゃるとおりだ」と言わねばならぬのは悲しいが、近年の文科省の教育対策を見れば彼も苦笑するだろう。
子は親の背中を見て育つと言われるが、保身や金のためには信条も曲げる政治家、何も解決されていない省庁の無駄使い、このような社会の中で、子供にどうやって「いじめを見て見ぬ振りをするな」などと説教できるのか。不義を見て見ぬ振りをしているのは、こういった権威とその取り巻きではないのか。
白洲次郎は、ケンブリッジで教育を受けた英語力と自説を曲げぬ性格とで、GHQとやりあった多くの逸話を残す。彼のプリンシプルは、外国生活で培った日本人としてのプライドであったと思う。このため日本政府の人間に対しても同様な態度で臨み、かなりの誤解を受けたようだが一向に気にしなかった。一方、戦時中自ら畑を耕し、自宅で取れた野菜を何も言わずに友人の玄関先に置いてくるような、人情味あふれる話も数多く残す。
親族の末席に連なるという作家の辻井喬は、巻末で「風は自由であり、水と共にわが国の美意識の源だ。青柳恵介が白洲次郎伝を『風の男』としたのは、まことに彼の本質を言い得ている」と言っている。白洲の書が今売れているということは、風が彼の心意気を送ってきたような気がしないわけでもない。しばしこの風に吹かれた人たちの心の変化に期待したい。
白洲次郎著「プリンシプルのない日本」(新潮社文庫)
青柳恵介著「風の男 白洲次郎」(新潮社)
北 康利著「白洲次郎 占領を背負った男」(講談社)
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