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小さな英語教室

By Yuri Kiba / キバ・ユリ

オーストラリア人の夫と結婚し、シドニー在住歴24年の筆者が、学校とは離れた教育の場で、子供たちを見ていて感じたこと、考えさせられたことを紹介するコラムです。
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Yuri Kiba / キバ・ユリ

Vol. 72 : 日本人であることが誇らしいと思うとき

 図書館から帰ったらバッグに電子辞書がない。誰かが盗んだのだとさんざん悪態をついたがどうにもならないし、どうしても必要なものなので翌日同じものを買いに行く予定でいた。ところが、万が一と思って尋ねた受付でそれらしきものの届けがあると聞き、さっそく最寄りのオフィスに行ってみたら、何とあった。夜中に届けられたというので掃除の方か警備員が届けてくださったのだ。家に帰って主人に報告したら、「日本だけの話だよ」と言う。普段意見が合わない夫婦だけれど、これには私も同感だ。

 主人がそう言うのには理由があった。先日、原宿で切符を買って改札口へ行く途中、若者が主人を追いかけてきて10円玉を渡してくれたそうだ。自動販売機からおつりを取ってくるのを忘れていたのだ。

 阪神大震災が起きたときも、頻繁にオーストラリアのメディアで「略奪が全くない」と報じていたのを思い出す。日本以外では考えられない現象だから海外でもニュースの種となるのだろう。ハリケーンカテリーナのときは、政府の失策も手伝って、大変な略奪が行なわれこれも大きく報道されたが、略奪があるのが普通だろう。

 主人の知人で日本を旅したオーストラリア人は日本人の親切さと誠実さに感激して帰っていった。私にしてみればこれほどうれしいことはない。この類の話で思い出すのはボストン交響楽団のある団員の経験で、感慨極まり何度も読んだ。当時、常任指揮者であった小澤征爾氏が何かの本に書いたものだ。今手元に本がなく記憶に頼る以外にはないが、良い話だから罪にはなるまい。

 それは、ボストン交響楽団が日本公演を行なった際、団員の一人が地方を旅したときの話である。観光を終え、東京へ戻ろうとタクシーで県庁所在地まで行ったのだが、駅で汽車を待っている間に財布がないのに気が付いた。パニックになり、再び駅を出、タクシーで元の場所に戻った。そこにおばあさんが立っていて、タクシーから降りた彼を見るなり片手を振り上げて近づいてきた。その手に握られていたのは、彼の財布。どうやらタクシーの運転手が財布に気付き、「もし外人さんが戻ってきたら渡してくれ」とおばあさんに頼んだものらしい。おばあさんはずっとその場所に立っていたのだ。「彼がユダヤ人であったため、感激はひとしおであった」と小澤氏は書いていた。

 もちろん良い話ばかりではない。NSW(ニューサウスウエールズ)大学では、日本のスキー場のホテルでアルバイトをしたという学生が、便所掃除まで強要されすぐに辞めたと(ドイツ語のクラスでドイツ語で発表したので変な感じではあったが…)苦々しい顔をしていたのを思い出すし、ゴルフ場斡旋のアルバイトで来日した若者がカプセルホテルに長期間泊まらされたなどという話も聞いた。また、オレオレ詐欺だの、社会保険庁の使い込みだの、政治家の事務所の不正経理など、日本人はどうなってるの、という感もぬぐえない。しかし、程度の差はあれ悪党は世界のどこにでもいる。その悪党と、世界にも誇れるモラルの高い素朴な誠実さを見せる日本人との人生の岐路は一体何なのか。

 ロシア語の同級生であったスロバキア人のR氏は、すでに60代で、若いころ日本へ旅したときの話をお茶を飲みながら聞かせてくれた。瀬戸内海の田舎で、腰を曲げて前を歩いていたおばあさんが、まだ煙の出ているタバコの吸殻を踏み消し、それを手にしたまま歩き続ける光景に胸を打たれたようだ。「それだけの光景だったけど、道に落ちている吸殻を見るたびにあのおばあさんを思い出す」などと言っていたのを思い出す。

 話は変わるが、この掃除の話で連鎖的に頭に浮かぶのが実家の近所のおばさんだ。掃除好きが度を越して、近年は自分の家だけでなく、他人の家の庭にまでほうきを持って入り込むようになった。ある日など、母が庭の掃除をし終わって家の中に入る隙をねらい、わが家の庭に侵入。人影に気付いた母が動向を観察したら、庭に残っていた小さなゴミを拾っていったそうな。掃除好きというのも日本人の特質かなと思うのだが、このおばさんの奉仕が素朴な誠実さなのかどうかは解釈に苦しむ。まあ、少なくとも近所の住人が、複雑な気持ちで怒っているのは確かである。

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