その名前をイチゴちゃんという。この春、小学校6年生になる。小1のとき友達と一緒に英語教室に来てからずっと私の生徒である。お母さんが英語学校と折合い悪く、諸事情もあって、私が退職した際、私の家に通うのが自然の成り行きとなった。ただし、英語が目的ではない。
彼女が小2のとき、お父さんが亡くなった。享年36歳。心臓まひだった。その日、クラスメートのお母さんが「先生がイチゴちゃんに会ったとき驚かないように…」と教えてくれた。誰も予期していなかったので、家の中の喧騒は想像するに余りあった。
お父さんが亡くなった翌日、彼女は英語教室に来た。「お父さん、死んだんだよ」とそっけなく言うので、こちらも言葉がなかった。死というものに実感がなかったのか、家とは違う環境で何か言いたかったのか…。生徒2人のそのクラスで、私は普通どおりにレッスンをして、彼女はいつものようにミサちゃんとふざけ、大いに笑って帰って行った。ただ、お迎えはミサちゃんのお母さんだった。
葬式の週はさすがに英語教室には来なかったが、休んだのはその日だけ。そのような状況下で、英語教室には行くと言い張ったため、その後お母さんは、英語より「教室に通う」ことを重要視した。かといってすべてがスムーズにいったわけではない。成長するに従って、お父さんの不在が影響したこともあると思うが、自己主張が強く気分にムラがあって手こずったときも多かった。「『英語はやめます』とお母さんに言って来い!」などと言ったこともあったように思う。
しかし、彼女の魅力は、自己主張の中味に大言壮語がないことだ。「私、暗記物が苦手だから成績悪いんだ」などと平然と言うし、自分が通っている学校についても、「国立大学付属小学校ってね、私立に落ちた子たちが多いんだって。私も結構落ちたよ」などと恥ずかしげもなく言う。最近も、「私の学校じゃ、付属小学校のトップより、中学のときに試験で入ってくる生徒のビリのほうがずっとできるんだって。ねえ先生、それってすごいと思わない?」などと、自分が付属小学校の生徒であることを度外視しているような言い方をする。
英語は毎週通っていることもあって、3年生で英検4級に合格したが、実に4回目の快挙(?)。平然と試験を受けに行くのも性格ならば、合格よりも受けた回数に酔いしれているのも性格。称賛の観点が周囲の人間と違うので、マイペースともおめでたいとも取れる。「まあ、日本の教育には向いてませんね」とお母さんに手紙を書いたこともあった。
ところが、去年、彼女の人生を震撼させるニュースが飛び込んできた。今まで、彼女の学校の小学生はエレベーター式に中学校に入学を許可されていたが、持ち上がりの生徒と中学で試験入学した生徒たちとの学力格差が大きすぎるため、今年から持ち上がりの生徒数をかなり狭めるというのだ。5年から良い担任に当たり、成績が上昇気味だったものの、あと1年しか残っていない。そこで、お母さんが頼みの綱として、英検の考慮を先生に聞いてみたら、英検3級はほぼ確実に助けになるとのこと。
彼女にしてみれば、お母さんの心配は逼迫しているし、お父さんはいない。中学校をお払い箱になったらどうしよう、という恐怖は当然出てくる。公立の中学校は、すでに小学校の6年間をともにした地域の子供たちが入学してくるので、良ければ仲間に入れてもらえるが、悪ければいじめに遭う。そして、自分の性格を考えたらいじめに遭うのは間違いなさそうだ…。そんな思いの中、英検3級は天から降りてきたクモの糸ではなかったろうか。
「先生、宿題たくさんちょうだい」と去年の中ごろから言い出した。「どうせいつものように、『やったけど家に置いてきた』で終わるだろう」と、たかをくくっていたが、驚いたことにきちんとやってくる。そのうちに、ごそっと20枚前後の練習問題を私のファイルから自分で持っていくようになった。CDも家で聞いてきた。
そして、今年の1月、3級に好成績で合格。その2週間前に、私はすでに合格を確信していたが、今まで学業に自信のなかった彼女は、最後まで不安だった。お母さんなどなおさらのこと。親子で不合格と確信していた面接も高得点で合格。頭の先から足の先までイチゴの装いで臨んだ面接。試験管も笑いをこらえることができなかったようだ。
お父さんを亡くしたときから彼女は成長した。お母さんが面倒を全部見られない分、一人で何でもする。北海道や静岡の親せきへはいつも一人で行くし、私の家へも一人で来て一人で帰っていく。そして、今度の3級の合格は、やればできるという自信をつけた。教師の私も、生徒との精神的なきずなと、長い間教えることのメリットを改めて考えさせられた。
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