当初、私が教えた始めた帰国子女たちのほとんどは、幼年期を海外で過ごし、小学校の低学年で帰国し、英語を保つために英語教室に入学した子供たちであった。その帰国子女たちに対して、「教える英語」の難しさは薄々感じてはいたが、アメリカの自由な教育と日本の受け身の教育の違いが心理的に影響を与えているのではないかという漠然とした理由しか思い浮かばなかった。ところが、2年後に、高学年(小5)で渡米し翌年帰国したAちゃんを教えるようになってから、それまで教えていた帰国子女たちとの間に、英語を学ぶ能力に太い一線が引かれていることに気が付いた。
後に、米国で帰国子女を長年教えてきた市川力氏の、『教えない英語教育』(中公新書)を読んだとき、その「一線」の理由が初めて理解できた。市川氏は、帰国子女を「渡米時期が幼児期から小学校低学年までの子ども…」と「小学校高学年で現地校に入学した児童…」に分類し、それぞれ言語の適応の度合いを分析して、「早期英語教育は危険である」という結論を出しているのだが、結論はともかく、その分析は興味を引く。
(要約)「渡米時期が小学校高学年以降の場合、日常生活の適合には、時間がかかって苦労はするが、就学前から英語環境にいる子供たちと比較すると、読む・聞く・書く・話すという分野において、バランス良く英語力をつける意味では優れている。これは、日本語で『抽象思考』を操作するようになってから英語が入ってきたため、すでに根を張った日本語という木に絡む蔦のように英語が取り込まれるからだ」。
これは、現地での英語習得だけでなく、日本で帰国子女に英語を教える段にも同様なことが言える。私の教えていた英語教室での例をとれば…。
NちゃんとJちゃんは、アメリカで幼稚園と小学校の1年生を終え、英語教室入学当時、公立小学校の3年(Nちゃん)と4年(Jちゃん)だった。入学前の体験レッスンをした先生のレポートによると、「2人とも発音は良いが、英語での受け答えはできず、読みもできない。帰国子女といっても英語ができるとは思わない」とのこと。
彼女たちは共に帰国子女であり、年齢も近いということで同じクラスに入ったのだが、レポートの内容を把握するのに時間はかからなかった。ほかのクラスの子供たちより進み具合が遅いのである。ただ、前回のコラムに書いたK君のような日本の小学校への適合障害はなく、学校を楽しんでいる様子で、また、英語教室でも、二人は初対面だったがウマが合い、とても明るいクラスだった。
「ねえ、Nちゃんの学校のトイレは洋式? それとも日本式?」
「何? それ」
「洋式っていうのはね、こう座るの。日本式っていうのはさ〜」と言って、Jちゃんがジェスチャー入りで説明しようとするので、「やめなさい!」と制しながらも大笑いした思い出がある。
しかし、ほかのクラスの同学年の子供たちが筆記問題をこなしていくかたわら、彼女たちは何回反復しても定着せず、私自身、次第に考え込んでしまった。愚鈍ではないのである。2人ともボストン周辺にいたので、その当時の話など、実に筋道を立てて面白く話すのだ。
そのうちに、彼女らの頭脳のどこかに「教わる語学」を阻んでいる要素があるような気がしてきた。幼年期に英語環境の中にいた彼女らにとっては、英語も日本語も自然に身に付いたものであって、「学ぶものではない」というメッセージが脳にインプットされているようにも見えた。これが、市川氏が言うところの「抽象思考の操作の欠如」なのだと後に理解したが、当時は暗中模索で随分と悩んだ。
Jちゃんのお母さんによれば、Jちゃんは学校の国語にも問題があるとのことだった。英検に関しては、結局、2人は5級止まりで、それ以上教えるのは無理があった。ご家庭でも感じておられたと思う。二人とも同じくらいの時期にやめていった。
前回のコラムに書いたK君の場合、読みはできたが、彼は一人っ子で、帰国後、お父さんがかなり教え込んだようだ。そのため、4級まではすんなりと通り、優秀だったR君と一緒のクラスにはしたものの、帰国子女ではないR君ほうが小3の時3級に早々と合格してしまった。K君のお母さんはショックを隠せなかったようだが、今思うと、そのころから、私の気持ちの中でも、帰国子女は英語ができるという神話が次第に崩れていったように思う。
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