帰国子女という言葉について:「日本以外の国には『帰国子女』というカテゴリーは存在せず、直接翻訳できる言語はない。日本人だけが、親の仕事の都合で、海外で過ごした後、母国に帰ってきた児童・生徒のことを『帰国子女』として特別扱いし、日本で生まれ育った児童・生徒と区別している」。
これは、長年米国で日本人の子供たちを教育した市川力氏が、自著『英語を子供に教えるな』(中央公論新社)の中で、ロジャー・グッドマンの著書『帰国子女−新しい特権層の出現』(岩波書店)から引用したものである。
英語教育に費やす年数が長い割には、実的効果が見られない日本で、帰国子女が注目を集める存在であったことは確かだ。せん望とやっかみの混じった目で特別視される傾向は今でも変わらない。周囲だけでなく、帰国子女の家族自体も、自らを特殊な経験をした日本人として分類し、教育の問題を悲痛に訴えはするものの、その裏には「海外駐在」という特殊性の誇示が見え隠れする。
最近、アメリカに10年滞在し、現在、帰国子女の相談に当たっている女性が、悲痛な顔で「わが家も帰国してからが大変!でもね、今は英語圏以外の国に居た子供たちの問題も大きいのよ」と言うのを聞いたとき、インタビューの際、時の大統領からフランス語の流ちょうさを賞賛されたNHKニュースキャスター、磯村尚徳氏の話を思い出した。
(要約)「私は、小学1年から5年までフランス語しか出来ず、日本語を忘れていました。ところが、帰国半年もたたずに、今度はフランス語を忘れ、時あたかも、外国のものはすべて排斥された戦争中のことでしたし、学習院の旧制高等科で再びフランス語に接するまで、ものの見事にフランス語を忘れていました。けれども、フランス語の授業の2時間目か3時間目に、突然、キチンとした発音が出てきたのです」。(『ちょっとキザですが』講談社文庫)
実は、この磯村氏の言葉は、シドニーで、私の息子の言語教育の指標となった。英語圏に住んでいる限り、息子の母国語は英語。それ以外の言語は、「チャンスは与えるが教えない」という方針を採った。だから、日本語は、彼が分かろうが分かるまいが、私が勝手にしゃべっていただけだ。日本人との付き合いや日本への旅行も役には立ったが、教えようなどという意識は全くなかった。
彼が5歳のとき、フランス語を勉強していた主人が、幼稚園児を対象にしたフランス語の授業を近くの学校でやっているという情報を聞いてきた。15人くらいの大人数で、毎週大騒ぎ。授業にはならないように見えたが、私の頭の中には常に磯村氏の言葉があった。「忘れても良い!」。その後、本人が好きだったので個人教授をアレンジし、週一度のフランス語は高校まで続いた。磯村氏の言ったとおり、今でも発音はきわめて良い。母国語以外は、「忘れても良い」という気楽さが、逆に効果を与えたように思う。
思うに、「帰国子女」などという言葉の存在自体が、表面的な「平等」を追求する日本の中で、自らを特権階級として位置づけようとする俗物性を反映しているような気がする。その背景には、母国語より外国語の方がランク付けが上である日本の特殊な風潮がある。ほかの国々に「帰国子女」などという言葉がないのは、母国語の習得を何よりも優先させているゆえである。
子供が海外で覚えた言葉(特に英語)を忘れないようにと努力する親。その根底には、日本独特の英語コンプレックスと、そこから生ずる英語教育の過激さがある。ゆえに、「帰国子女」という独特の言葉が生まれ、あたかも特別の問題を抱えているような説が出て議論されるが、私にとっては、特別なことでも何でもない。異なるカルチャーでは日本人だけでなく、誰でも経験することだ。
母国語にもっと重きを置いて、外国語とは気楽に付き合えないものだろうか。チャンスは与えるが、必要ない人は学ばなくとも良い、という気楽さが、逆に人材を出現させるのではないかとも思うのだが、極論だろうか。
帰国子女の親が、帰国後、それまで滞在していた国の言葉をキープしようとやっきになるのは、母国語に対する思い入れがないからである。第2外国語など忘れても良いではないか。いずれは子供の頭に潜在的に残っていて、それを呼び起こすも呼び起こさないも子供次第である。忘れてしまった外国語を掘り返すため、子供の意志を無視して、心底信じてもいない日本の英語教育に迎合し、へたな策略をするするところから悲劇が始まるような気がする。
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