オマエニハ、ジゴクスラナマヌルイ。
世のお子さんをお持ちのお父さん、お母さん、子供さんの前で人の悪口は言ってはいけませんよ。子供にも悪口がうつっちゃいますから。
僕なんか、子供たちがいる前では言葉だけでなく、行動や態度でも気を付けてますよ。子供がそばにいたら信号無視をしない、とかね。どうです、偉いでしょう? え? 子供がいなくても信号無視するなって? うっせーな、この。
おっと、思わず地が出てしまった。あぶない、あぶない。
しかし、理不尽なことがあったら怒らないといけない。
オマエニハ、ジゴクスラナマヌルイ。
この言葉を捧げたい人物がいる。ボブ・デービッドソン審判だ。
いや、本当はこの言葉をデービッドソンのやつに一発お見舞いしてやるべきだったかもしれない。なにしろ、あの夜、僕はこのふそんなアメリカ人審判に出会ったのだから。
「はっ?!」
3月12日、WBC2次ラウンド初戦、エンジェル・スタジアム・オブ・アナハイムで行なわれた対アメリカ戦、3-3の同点、日本は1アウト満塁から、5番・岩村明憲(ヤクルト・スワローズ)がレフトへやや浅いフライを打ち上げる。3塁走者・西岡剛(千葉ロッテマリーンズ)は思い切ってスタートを切り、ホームを陥れ、貴重な勝ち越し点が入った…と思ったが束の間、本塁球審のデービッドソンは西岡の離塁が早かったとして彼をアウトと宣告したのだ。
2塁塁審のブライアン・ナイトは、一度はタッチアップが成立したと判定したが、デービッドソンは「タッチアップの際の走者の離塁の判断は本塁球審が行なうもの」とし、ジャッジを覆してしまった。
プレスボックス(記者席)の日本人記者たちは凍りついた。記者といえども日本人である。日本のチームの予期できない不幸に、言葉を失い、ただぼうぜんとフィールドを見つめるだけだった。日本チームは、この納得のいかない判定を引きずったまま試合を続けた。暗たんたる気持ちだったのは日本人ファンも記者も同様だったと思う。試合は結局、9回裏にアメリカの4番、"Aロッド"ことアレックス・ロドリゲス(ニューヨーク・ヤンキース)にサヨナラ安打を打たれ、4-3で敗戦。WBC2次ラウンドの重要な第1戦を落とした。球場にはアメリカファンの「USA! USA!」という歓声がこだました…。
「なにが『USA!』だよ。普段はバラバラな国のくせによ」。試合の夜、ぼくは、他紙のカナダ人記者とホテルのバーで、悪態をつきながらビールをあおっていた。
「俺はあの『USA!』っていう大合唱が大嫌いなんだ」。カナダ人記者は真顔で言う。僕も大いに同意した。ビールが苦い。カナダ人は、自分の国の試合でもないのに(日本在住ではあるが)、ヘタをしたら僕以上に不機嫌な表情でその日の審判をののしっていた。「クソ、気分が悪いぜ」などと言いながら。
「カズよ、だいたいな、なんで3塁ベースのすぐそばにいた審判よりも、ホームプレートのずっと後ろにいる審判がタッチアップを判断しないといけないんだ?」。カナダ人は顔を赤らめながら、熱く話した。
と、2人で熱く語り合っているとき、カナダ人の動きが止まった。目線は、目の前の僕ではなく、僕の左後方を見ている。「あれ、ボブ・デービッドソンじゃないのか?」。僕はこの男は冗談を言ってるのだと思った。この男、日本の英字紙業界では知られたお気楽男だからである。カッコつけて英語で言うなら、きわめて"laid-back guy"なのである。
僕は後ろを振り向いた。そこには5、6人のアメリカ人らしき人たちがいる。そのなかの一番年長と思われる男性は、確かにデービッドソンくらいの年齢で、体格も似ているように思われた。その集団は、僕らと同じようにビールを飲んでいた。でもまさか、と僕は思った。あんなうさんくさい判定を下した試合のまさにその夜に、ヘラヘラと笑いながら酒を飲んでいるはずがない。そう思いながら、僕は"No way."(まさか)とカナダ人に言った。だがカナダ人はそんな僕の言葉など無視し、その年長の男性を凝視し続けた。
そんな会話をボブも聞いていたのか、僕らのほうを振り返って見た。
"Bob Davidson?"(ボブ・デービッドソン?)
カナダ人が聞く。ボブは何も言わなかったが、ゆっくりと、少し笑みを浮かべながらうなずいた。
「どうしてはるか遠くの3塁のタッチアッププレーをホームプレートアンパイアーが判断するんだ?」。カナダ人は先ほどまで僕に言っていた疑問を、今度は直接当人のボブに尋ねた。
ボブは慌てない。そしてカナダ人のやや怒気をはらんだ質問に、ゆっくりと答えた。
"That's how we are taught at the umpire school."
審判学校ではそう教わるからね——。ボブの野郎はそう言ったのだ。
続いてわれわれは、記者席にあるテレビでは何度もリプレイを流していたが、どう見たって西岡はレフトのランディ・ウィン(シアトル・マリナーズ)が捕球してからスタートを切っていたぞ、とボブに言った。するとボブは、またしても余裕しゃくしゃくに返答する。「"われわれが見たリプレイ"では早かった」。
バトルはそこまでだった。というよりも、われわれがあきれてしまったというほうが当を得ているかもしれない。あれだけ誰がみても問題がある判定を下しておきながら、少しも悪びれることなくビールグラスを傾けるボブ。そりゃあ、酒が入ってるからいくらか気が大きくなっていたのかもしれない。でも、そうじゃない。そんなことじゃない。そもそもそんな試合のその夜に堂々とホテルのバーで飲んでいること自体が気に食わない。おとなしく自室で、コンビニで買ったピスタチオでもつまみに缶ビールを飲んでるならまだしもだ。
"You better not plan any trips to Japan soon."
俺ならしばらくは日本へは行かないだろうね。カナダ人記者はボブにそう言って会話を終わらせた。ボブは笑って、何も言わなかった。
審判学校でそう習ったからそうしたまでだ、何が悪い? そうほざくボブの姿は本来あるべき野球の審判の態度ではなかったように思える。イラクに大量破壊兵器が「あると思った」から攻撃した。その何が悪いんだ? そんなことを平気で言う大統領がいる国で生まれた審判らしい言い分だといえばそうなのかもれない。でもこれはWBC、ワールドベースボールクラシックだぞ。ワールド、だぞ。アメリカのものじゃないんだぞ。この大会に人生がかかっている選手だっているはずだ。それをこんなレベルの低い人間に判定されたとあっては、選手がかわいそうである。
「小学生でも分かることが分からないなんて、ふざけてますよね」。アメリカ戦の翌日、KAT-TUNの亀梨君に似た風貌の西岡はまだ怒りが収まらない様子で話した。「あれだったら小学生を(審判として)立たせても同じじゃないですか」。多村仁(横浜ベイスターズ)も同じようなことを言っていた。
今、ボブの日本での扱いは半ばジョークだ。なぜなら、日本は最終的に優勝を果たしたから。だからアメリカ戦の敗戦もボブのふざけた判定も、今となっては笑い話で済む。
ま、ボブのことをいつまでも言っていてもしょうがないので、今回の「ボブ事件」を基にしたドキュメンタリー映画のキャストを紹介して終わりにしたいと思う。もちろん僕の考え出したキャストなのであしからず。
タイトル:"The Umpire"(邦題サブタイトル:「悪徳審判・ボビー」)
あらすじ:WBCで有名になったボブ・デービッドソン審判の審判人生。希望に満ちた若手時代を経て、ステロイド、金、自軍の利益しか考えない球団オーナーなど、次第に大リーグの汚い部分を知っていくうちに、若き日の情熱を失っていく。またベテランの域に入ると、視力の低下にも悩まされるが、それを人には悟られないよう苦労する姿も…。審判ボブの明と暗を描く。
キャスト:
ボブ・デービッドソン…デービッド・デュバル(もしくは近年は悪役が多いロバート・デニーロ)
ブライアン・ナイト審判…マット・デイモン
王貞治(日本代表監督)…寺尾聡
バック・マルティネス(アメリカ代表監督)…アントニオ・デル・トロ
西岡剛…KAT-TUN亀梨
岩村明憲…TUBE前田
松中信彦(福岡ソフトバンクホークス)…錣山親方(元関脇寺尾)
ランディ・ウィン…アーネスト・ホースト
イチロー…オリエンタルラジオの向かって左の人(もしくは渡辺謙)
アレックス・ロドリゲス…ジェニファー・ロペス
デレック・ジーター(ヤンキース)…キューバ・グッディングJr.
ケン・グリフィーJr.(シンシナティ・レッズ)…ケン・グリフィー・シニア
ジョニー・デイモン(ヤンキース)…チンパンジー
福留孝介(中日ドラゴンズ)…岸谷五朗
日本人記者・カズ…押尾学
カナダ人記者…キーファー・サザーランド
日本人記者A…吉岡秀隆
日本人記者B…戸田恵子
アメリカ人記者A…ヴァンダレイ・シウバ
アメリカ人記者B…ミルコ・クロコップ
若松勉・前ヤクルト監督…子犬
原辰 徳(読売ジャイアンツ監督)…若大将・加山雄三
石井琢朗(横浜ベイスターズ)…李鍾範(WBC韓国代表、ちょっと似てる)
今中慎二(元中日ドラゴンズ)…今田耕治
先述で、アメリカ人を十把ひとからげにするようなことを書いた。でも、本当はそうじゃない。あのアメリカ対日本の試合後、知り合いの大リーグ公式サイトのお偉いさんに例の判定について、「アメリカ人として謝るよ。今日ほど恥ずかしいと思ったことはない」と言われた。そう言われて、怒りに湧いていた僕の心が少し和らいだのは事実だ。だから、アメリカ人だからボブみたいなのが出てきたというのはよそう。
でもボブ、やっぱりあんたにはジゴクスラナマヌルイよ。
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