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カズの取材日記

By Kaz Nagatsuka / 永塚 和志

スポーツ記者、永塚和志が取材を通じて遭遇した様々な出来事・人々について語るエッセイです。
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Vol. 9 : Kazmanian Devil's 取材日記

 昨日の晩御飯で何を食べたかも覚えていない僕だが、2002年6月18日のことはよく覚えている。そして今でも「たら」「れば」ということを考える。

 試合開始の約1時間前、プレスセンターに先発ラインアップ表が配られた。僕ら記者は驚いた。日本代表監督のフィリップ・トルシエは、この大事な試合でいきなり先発選手を入れ替えてきたからだ。

 その日、僕は宮城スタジアムにいた。日韓W杯、決勝トーナメント1回戦、日本対トルコを取材するためだった。

 ワールドカップの取材証を得るのは当然ながら難しい。パスにもいろいろな種類のものがあって、ひとつですべての会場の、すべての試合をカバーできるパスもあれば、ある会場の試合だけを取材できる「ベニューパス」というものもある。僕は宮城スタジアムのベニューパスを持っていた。トーナメントのスケジュールは大会前から決まっていたので、日本がもし1次リーグを1位で勝ち抜ければ、決勝トーナメントの1回戦が仙台で行なわれることは分かっていた。だけど、初めてW杯出場した98年のフランス大会で、日本は1次リーグで全敗してしまっている。それだけに、たとえ日本がホスト国だとはいっても1次リーグを勝ち抜けるなどとは正直思っていなかった。

 ところが第1戦目の対ベルギー戦を2-2のドローで終えた次の対ロシア戦、日本は稲本のゴールで1-0の勝利を収めた。僕は、もしかしたら勝ち抜けるのではないかという気持ちがわいてきた。そしてその希望は実際叶った。日本は大阪でチュニジアを2-0で破り、グループHを1位で通過したのだ。

 中田のシュートがネットにつきささった瞬間は、日本のグループリーグ通過だけで なく、僕の仙台行きも決定づけた。まだ試合は終わっていないのにもかかわらず、当 時勤務していた新聞社の直属の旅行代理店に僕はすぐさま電話をかけた。仙台までの 新幹線のチケットを手配するためだった。あと十数分もすれば試合は終わるのに、で ある。それほど僕の気持ちが興奮していたということだ。

 仙台。森の都と呼ばれるその都市に、僕は到着した。町の景観は美しく、歩く人々も生き生きとして見えた。あるいは、僕の気持ちが高揚していたからそう見えたのかもしれない。歩いている女性がすべて鈴木京香(仙台出身)に見えたほどである。

 試合前日、僕に与えられた指名はスタジアム周辺(スタジアム自体は宮城郡利府町というところにある)で日本、トルコ両方のサポーターの声を集めることだった。まずは日本のファンに話を聞いて回る。みんな笑顔、とてもうれしそうだ。僕と同じように、きっと彼らも日本の決勝トーナメント進出は難しいのではないかと思っていたのかもしれない。しかしその予想は良い方に外れた。

 トルコの人にも話を聞いた。イスタンブールから来たという英語教師の男性で、お母さんと一緒だった。お母さんがお年を召しているということで、思いきって遠く日本まで連れてきたのだという。男性はトルコチームの熱狂的ファンだということだったが、日本という国には以前から引かれていてとても好きだという。その国とW杯で戦うことになって、正直ちょっと複雑な気持ちだと語っていた。でもとても温和な人で、好感を持った。お母さんは英語ができないということで、その息子さんが通訳をしてくれたが、お母さんのほうもとても感じのよさそうな人だった。

 サッカー、とりわけW杯や欧州選手権などの大きな国際大会では試合自体もそうだがファンの応援も白熱すると聞くが、このときの日本とトルコのファンはそれぞれお互いの国を悪く言うこともなく、いうなれば互いの健闘を祈るようなコメントをしていたので、取材していても気持ちが良かった。この日の仙台には初夏らしい青空が広がっていたこともあったかもしれない。思わずコーンスープを口にしたくなるほど、暖かな気持ちだった。

 しかし、そんなさわやかなな気持ちも、翌日には一転してしまった。

 宮城スタジアム上空は灰色の雲に覆われた。そして、日本代表の先発メンバーが発表される。驚いた。FWのところには、グループリーグの3試合すべてに先発した柳沢敦と鈴木隆行ではなく、西澤明訓と三都主アレサンドロとある。

 なぜこの、負けたらその時点で終わりという状況でこんな変更を施さねばならないのか。トルシエの思い切ったメンバー起用に記者たち、とくに日本の記者たちはざわめいた。

 試合開始が近づく。メディアセンターはスタジアムに隣接されているといっても、数百メートル離れている。降り出した雨の下、僕はスタジアムの記者席へと向かったが、なにか死地にでも向かうような重たい心境だった。「戦う前から負けることを考えるやつがいるかよ」と現役時代のアントニオ猪木は言ったが、僕はもう試合前から日本が負けることを考えていた。

 はたして、試合は僕の予期した通りとなった。前半12分、コーナーキックからユミト・ダバラにヘッドで得点され、日本は1-0で敗れた。

 試合後、僕は日本の選手のコメントを取る役割を与えられていた。どの選手も当然のことながら落ち込んでいる。というよりも、放心状態だったといってほうが正鵠(せいこく)を射ているかもしれない。

 大会前は1次リーグを勝ち抜くことが現実的な目標と皆思っていたと思う。しかしいざ1位でグループを突破すると、今度は新たな目標が設定された。といっても、それは具体的な目標ではなく、できるだけ長くW杯にとどまること、といった漠然としたものでしかなかった。

 日本の立場は依然として「挑戦者」だったが、決勝トーナメントの1回戦は勝てるという気運が日本国民の間では広まっていたように思う。今から思えば、よくよく調子のいい期待だったのかもしれない。

 いずれにしても、2002年、日本のW杯は、ファンも選手もどこか煮え切らない気持ちを抱えたまま終わった。僕自身もW杯という世界最大のスポーツイベントの取材にあやかることができたのは幸運だった一方で、最後は心の中に灰色のおもりを入れたままスタジアムを後にすることになってしまった。

 あの試合でトルシエが何を考えていたのかは、今もってよく分からない。もし奇をてらわず柳沢と鈴木を先発させていたら、もしその日雨が降らなければ……。さまざまな「たら」「れば」が頭に浮かぶ。だが、何を言っても後の祭りというものだ。

 僕はあの夜、同僚2人と仙台の街に繰り出し、酒をあおった。いわば残念会である。僕は日本の敗戦を冷静に受け止めていたが、同僚のうちの1人は店で悪態をついていた。この日、韓国のテジョンでは韓国チームがイタリアを破ってベスト8を決めていたから余計に腹が立ったのだろう。僕は彼の雑言を聞きながら、店自慢のアワビに舌鼓を打っていた。

 早いもので、あれからもう4年が経った。僕自身は4年前と変わらないしょぼくれた人間だが、日本代表は4年でさらなる成長を遂げた。日本が戦うグループFは前回と比べて厳しい組だが、当然のことながら少なくともこの1次リーグは突破してほしいと思う。そして、4年前には果たせなかったベスト8入りの実現を願う。

 もしそうなってくれれば、試合後のアワビがもっとうまいのではないかと思う。

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