先日、大関・白鵬の会見に行ってきた。
会見といっても、何か特別発表することがあるわけではなく、今最も注目を集める力士といえるモンゴル人大関について、記者をはじめとする参加者が白鵬当人に質問をぶつけるというものだった。
15歳での来日当初、身長が175センチ、体重が68キロほどしかなかった細身の少年は、21歳の今、192センチ、150キロにまで大きくなった。白鵬は最初、その小さな体格のためにどの部屋からも勧誘されなかったが、先輩力士の旭鷲山などの助けでなんとか宮城野部屋に入門し、そこからぐんぐんと成長した(余談だが、会見の際、白鵬は壇上の肘掛のついたいすに座ろうとしたら、尻が大きすぎて収まらず、急きょ肘掛のないイスと交換するという小ハプニングがあった)。
3月には史上4番目という速さで大関に昇進したのをはじめ、白鵬には出世の速さや年齢の若さがついてまわる。また外国人力士であるということもあり、出席者はさまざまな質問を白鵬に投げかけた。
来月の名古屋場所では綱取りがかかる白鵬。現在、横綱の座には同じモンゴル人の朝青龍がいる。もし名古屋で白鵬が良い成績で優勝すれば、横綱昇進は間違いないだろう。そうなれば、横綱の地位はモンゴル人に占められることになる。そうなっても、僕はとりたてて驚くことはない。
もちろん強い日本人が出てこないのは残念だが、面白い相撲が見られればそれが外国人だろうが日本人だろうが、さして問題ではない。
少し前までは、日本のファンの間には外国人が相撲の上位の役を占めることにアレルギーがあった時期があったのは事実だろう。実際、先駆者と言える高見山、小錦、曙、武蔵丸らアメリカ出身の力士たちはどこか日本人力士の「敵役」という扱いを受けてきた。
が、時が経つにつれて免疫ができてきたのか、近年はそんな「拒否反応」もなくなってきた。
あるいは、現在の外国人力士の代表的存在であるモンゴルの人たちがわれわれ日本人と外見的に似ていることや、日本語が非常にうまいこともあるかもしれない。
ただ、この日の会見で気になることもあった。外国人のスポーツ選手の会見でその人の国の文化などに関心を持つのは至極当然のこととは思うが、日本人は外国人を相手にするととかく言葉のことばかりを聞くような気がするのだ。
白鵬に対しても日本語のうまさに関する質問が多かった。そして僕は、日本人はあいかわらず外国語ができる、できないでピーチク、パーチク言っているな、といやな気分になった。
「白鵬関は日本語がなぜそんなにうまいのか」「日本語を話すときは頭のなかでモンゴル語から日本語に翻訳してるのか、それとも日本語で考えているのか」「次に学んでみたい言語は何か」——。
こんな質問のオンパレードである。
年齢に似つかわしくない落ち着きと威厳を持つ白鵬はそうした「相撲とはあまり関係のない質問」にも丁寧に答えていたが、内心はどうだったのだろうかと思ってしまう。
今年から大リーグ、シアトル・マリナーズでプレーしている城島健司は、捕手という投手とコミュニケーションをとらなければならないポジションの選手だ。
ある試合で、スペイン語しか話せない中南米の選手が先発することとなったのだが、日本の報道陣に「英語でのコミュニケーションに問題はなかったのか」と問われた城島は、こう答えたという。
「日本人だけですよ、英語ができるできないで騒いでいるのは」
僕は城島の大ファンではないし、彼の打席での繊細さ(ホームプレートにちょっとでも土などがかかっていると審判にタイムを要求してそれを取り除く)と額(ひたい)の狭さも正直あまり好きではないけども、彼のこのとき放ったコメントには喝采を送るしかなかった。
城島の言う通り、英語ができるできない、あるいは外国語ができるできないだけで貴重な、限られた取材時間を割くのは日本の報道陣だけではないだろうか。
英語学習紙的特徴の強い「週刊ST」のウェブサイトでこんなことを書いて非難を浴びてしまうかもしれない。ある国に住むのなら、その国の言葉ができたほうがいいに決まっている。日本で相撲をするなら日本語ができたほうがいいし、アメリカで野球をするなら英語ができたほうがいいのだ。
しかし、それがゴールなわけではあるまい。白鵬なら相手を倒したり土俵の外に押し出したりすることが仕事だし、城島なら投手をリードし、打席ではヒットを打ち、そして試合に勝利することが最優先のはず。
換言すれば白鵬は日本に日本語を勉強しに来たわけではないし、城島もアメリカに英語留学に行っているわではない。
通販の「ディノス」でものすごくよく切れる包丁を買っておいて、「料理はしません、だってめんどくさいから、ウフ☆」では意味がないのである。
包丁は野菜や肉をきってナンボのものである。
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