先週の土曜日、日本武道館でボクシングのダブル世界タイトルマッチを観てきました。スポーツ記者を長くやっていますが、ボクシングは取材した経験がなく、これが初の生観戦でした。
僕が座っていたのはリングから5メートルと離れていないアリーナ席。パンチの当たる「ビシッ」「バシッ」という鈍い音が聞こえ、選手の汗が飛び散るのさえはっきりと見えます。ボクシングとはかくも迫力あるものかと改めて実感しました。
この日のメインは長谷川穂積がタイのウィラポン・ナコンルアン・プロモーションに挑戦したWBC世界バンタム級タイトルマッチと、新井田豊が韓国の金在原の挑戦を受けたWBAミニマム級タイトルマッチでした。結果は皆さんご承知のように、数々の日本選手を苦しめてきたウィラポンを長谷川が倒して新チャンピオンとなり、新井田は2度目の防衛に成功しました。
長谷川の試合が中盤まで差し掛かったときです。「世界戦なのにお客さん、入ってへんなあ。俺ならノンタイトル戦でも満員やで」という関西弁が僕の後ろから聞こえてきました。その声の主は元世界チャンピオンの辰吉丈一郎選手。たまたま僕の斜め後ろの席に座っていたのです。たしかに、広い武道館には空席が目立ちました。常に観客を沸かせるボクシングをしてきた彼には不可解なことだったのでしょう。
スポーツでは観戦チケットは売れているのに、空席が多くあるということがたまにあります。この日のチケットがどのくらい売れたのか、観客として会場にいた僕には知るよしもありませんが、チケットは持っているのに試合会場に姿を表さない客を英語でno-showと言います。転じて、参加するはずなのにいない人の意味でも使われます。
野球やサッカーでは年間を通して席が確保されているシーズンチケットというものがあります。チームの熱烈なファンが毎年買っていたり、大企業が接待用にいくつかの席を購入しておく場合もあります。しかし、いくら熱心なファンでも全ての試合を観戦できるわけではなく、何かの事情で出かけられない場合もあるでしょう。こういったときに、チケットは売れているはずなのにお客さんが現れない、no-showの状態が生まれるのです。
実際にスポーツ記事の中での使用例を見てみましょう。。
Jeremy was the lone no-show for the first week of the training camp. (ジェレミーだけがトレーニングキャンプの最初の週に姿を現さなかった)
これはジェレミーという選手が参加の義務付けられているトレーニングキャンプに何らかの理由で現れなかったという内容の文です。No-showには「本当ならこの場にいるはずなのに」というニュアンスが必ずついて回ることがミソです。
日常生活でこのno-showが使われるのは、「現れるはずの時間にその場にいない」という意味で使われます。だから、ミーティングに遅れたり、飛行機の搭乗時間になってもその場に現れないといった場面で使われます。
Showという動詞をnoで否定形に使うのは文法的になじめないような感じもありますが、意外とこういった使い方は英語にはあるのです。同じような例にno-go(行くと期待されているのに行かないこと)などがあります。
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