どんな世界・分野でも偉業をなした人の言葉には味わいがあり、時に金科玉条としてそれを一見にする人に多大な影響を与えることがあります、スポーツも例外ではありません。常に厳しい勝負の世界で生きているスポーツ選手、監督、コーチらは独特の思想を持ち、しばしば哲学的なセリフを吐きます。生きている世界が厳しいだけに、彼らが残す言葉には重みを感じます。このコラムでは世界各地で知られるスポーツの名言を集め、それを紹介していきます。
"I bleed Dodger blue and when I die, I'm going to the big Dodger in the sky."
(元ロサンゼルス・ドジャース監督トミー・ラソーダ)
野茂英雄投手が単身アメリカに渡り、ロサンゼルス・ドジャースに身を投じたのは1995年のことでした。当時のドジャースの監督がトミー・ラソーダで、彼の好々爺とした風貌や、何かにつけ野茂を擁護する発言などで日本でも一躍人気者になりました。野茂をまるで息子のように可愛がる言動も日本で支持を得た理由のひとつでしょう。
ラソーダは96年に球界の一線を退くまで実に50年以上にわたってドジャースにかかわってきました。現役時代は投手としてブルックリン・ドジャースとカンザスシティ・ロイヤルズでプレーしましたが、通算で0勝4敗と成績はあまり芳しくはありません。彼が実績を残したのは76年から20年もの長きにわたって務めたドジャースの監督としてでした。
その間、ラソーダはドジャースを2度のワールドシリーズ優勝に導いています。彼にとってドジャースとは野球人生そのもの。その気持ちが、この言葉となって現れたのです。
日本語では「俺の腕を切ってみろ。ドジャーブルーの血が流れているぜ」と訳されて知られていますが、僕の調べたところ、彼の言葉には「腕を切ってみろ」という部分は見つけられませんでした。日本語らしい言い回しに意訳されたのかもしれません。
Bleedは「血が流れる」という意味。もちろん、本来人間の体に流れている血は赤いのですが、あまりにドジャースに対する愛着が強いので体に流れる血がチームカラーであるドジャーブルー色に染まっているのだと言ったのです。生粋のドジャースっ子だとの自負があるのでしょう。
そして、彼は「自分が死んだら・・・」と続けます。Dodgerという単語には「ひらりと身をかわす人」、「一筋縄ではいかぬ人」という意味がありますが、ここでは「ドジャースの一員」という解釈が適当ではないかと思われます。
英語でチーム名をいう場合、通常は複数形で表現します。Yankees、Mariners、Giantsなどがそうですね。これらをYankee とかGiantなどと単数で言う場合、そのチームの一員を表す言葉になるのです。たとえば、「野茂はかつてドジャースの選手だった」という日本語は「Hideo Nomo is a former Los Angeles Dodger.」ということができます。
ラソーダは「自分が死んだら天国でもドジャースの一員として大きな存在になる」と言いたかったのでしょう。生涯、いや、死んでもなお自分はドジャースなのだというチーム愛がこの言葉にはあふれています。
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