先日、日本サッカー協会の川淵三郎キャプテンがW杯の総括会見の最中にジーコの後任監督の名前をうっかりとしゃべってしまうというハプニングがありました。これで、日本代表の次期監督が現ジェフユナイテッド千葉監督のイビチャ・オシムであることが判明しました。
この場に居合わせた記者たちはさぞかし驚いたことでしょう。なにしろ、日本の1次リーグ敗退についてのコメントを求めるつもりが、次期監督という重大な情報をもたらされたわけですから。
こういう「特ダネ」をつかんだ瞬間、記者たちは心の中でガッツポーズをとります。重大なニュースをつかんだという興奮に心の中全体が支配されるのです。これを経験してしまうと、常に特ダネを求める癖がついてしまいます。業界では他紙にはない情報を報道することを「抜く」と言います。いわゆるスクープのことですね。常にスクープを狙う心構えは必要なのですが、行き過ぎてしてしまうとねつ造やヤラセといった報道倫理にもとる行動に走ってしまう可能性もあるので、要注意です。
取材中に特ダネに出くわすときは、必ずしも歓迎すべき場合だけとは限りません。前述のようなサッカーの日本代表の人選にまつわるニュースはとても大きく、紙面全体のレイアウトを変えることにもなります。ところが、これが必ずしも可能だとは限らないのです。
たとえば、紙面が少なく、担当する記事に割くことのできるスペースが小さいとします。そこにトップ級のニュースが飛び込んできました。時間があるときならば、他の記事を削ってでもスペースを拡大し、もちろんレイアウトも変更します。しかし、締め切りまで時間がほとんどないとなると必ずしもそこまでの大幅な紙面変更ができないことがあるのです。
本音を言うとこういう場合の特ダネを恨めしく思うこともないではありません。もっと早い時間に起きてくれればいいのに…とおよそ見当違いな不満すら口をついて出てきます。
だいぶ以前の話になりますが、プロ野球のオールスター戦を取材していたときのことです。試合の進行に合わせて記事を書いていたので、すでにかなりの部分で構成が決まっていました。ところが、9回になってなんとパ・リーグの故・仰木彬監督(当時)がイチローをリリーフピッチャーとしてマウンドに送り込んだのです。さあ、特ダネです。
こうなるとオールスター戦の勝敗などもう何の意味も持ちません。この試合はどちらかが勝ったではなく、イチローが投手を務めたことがニュースになるのです。そのインパクトの前では今まで書いてきた記事などすっ飛んでしまいます。慌てて記事を全面的に書き換えたのですが、このときに僕の気持ちは複雑なものでした。
イチローが試合で投げたのはこの日だけです。おそらく、今後もないでしょう。それを目の当たりにできたというのは記者でなくとも一生の思い出になるものです。ただ、締め切り間際に、記事を最初から書き直さなくてはならなかったときにあの焦りはあまり経験したいものではありません。もっとも、こういった予想外のハプニングにも対応できなければ記者などやってはいけないのだとも思いますけどね。
次回予告:日本語って難しい。
取材現場で英語の記事を書いていると、「英語で書くなんて大変だね」とよく声をかけられます。確かに外国語でものを書くのは簡単ではありません。でも、僕に言わせれば日本語で書くほうがよっぽど難しい。なまじよく知っている言語の方が文章を書くのは難しいものなのです。
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