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記者ほど素敵な商売はない

By Hiroshi Ikezawa / 生沢 浩

ジャパンタイムズ運動部記者、アメリカンフットボールライター、TV解説者のさまざまな顔を持つ生沢浩が15年間の記者生活のなかで見聞きしたこと、思ったことなどを紹介するコラムです。
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Hiroshi Ikezawa / 生沢 浩

Vol. 20 : 追悼 篠竹幹夫監督

 日本大学アメリカンフットボール部フェニックスの名物監督として知られた篠竹幹夫さんが7月10日に亡くなっていたことが、ひと月ほどたってから公表されました。監督を退任されてから3年目の訃報でした。

 篠竹さんは1959年に母校日大のフットボール部の監督に就任しました。ショットガンフォーメーションと呼ばれるパス主体の攻撃スタイルを導入し、日本大学の一時代を築き上げました。監督時代の勝率は8割を超え、学生王座を17度、全日本選手権を4度も制覇した名監督だったのです。

 「カリスマ」という言葉がこの人ほどピッタリ来る人物を僕はほかに知りません。厳格な性格で、スパルタ式の指導方法で学生を鍛え上げました。試合中でもスタンド中に鳴り響く怒声で選手を叱りつける姿が今でも脳裏に焼きついています。

 僕が大学生のころの日本大学は学生王座決定戦である「甲子園ボウル」の常連校でした。ヘルメットからユニフォームに至るまで深紅に彩られたフェニックスは同じフットボール選手の僕たちにとって脅威の存在そのものでした。それを率いる篠竹監督は、その姿を見ただけで思わずこちらが直立不動になってしまうような威圧感を持っていました。

 僕がプレーしていた上智大学は87年に一部リーグに昇格しました。その最初の相手が日大だったのです。結果は88−14で日大の圧勝。それでも2つのTDを奪ったことが僕たちの誇りでした。

 その年の春に上智は日大と3日間の合同練習をさせてもらいました。練習が終わって日大・上智の選手が篠竹監督の周りに集まります。初日、僕たちは日大の選手に遠慮して遠巻きに監督の姿を拝むだけでした。すると監督は「上智の諸君はなぜ前に出てこない?君たちはこのフェニックスから学びたいことがあるのだろう。だったら少しでも前に出てきなさい」とおっしゃったのです。この言葉に僕たち全員がビビッたことは言うまでもありません。口調こそ穏やかだったものの、鬼将軍とまで言われた篠竹幹夫に叱られたのですから。次の日からはわれ先にと監督の前に集まったのを覚えています。

 二日目は雨から雪になりました。僕たちは合同練習を申し込んだ立場上、練習を中止しようとはいえません。密かに日大側から申し出てもらうことを望んでいたのですが、その気配すらありません。結局その日も午後8時まで大雪の降る中ですべての練習メニューを終えたのでした(あとから聞いた話ではさすがの日大も普通なら大雪のコンディションでは練習をしないとのこと。「お客さん」が来ているから無理して最後まで練習をしたのだそうです)。

 その練習のあと、篠竹監督に「上智の諸君は見所がある」と言っていただきました。この言葉に僕たちは舞い上がりました。そのシーズンを乗り切る自信がついたといってもいいでしょう。もっとも、この合同練習で上智の監督がすっかりと篠竹監督に感化されて、以降の練習がやたらと厳しくなったのには困りましたが。

 ジャパンタイムズに入社してからは篠竹監督は僕にとって敵校の監督ではなく、取材対象となりました。取材対象としてみると篠竹さんも人間としてとても魅力あふれる人でした。記者に接する態度は選手を怒鳴りつける姿からは想像もつかないほど温厚でユーモアに富んだものでした。フットボール記者はみな篠竹さんを慕っていたものです。僕らの間で「監督」といえば、それは苗字を言わなくても篠竹さんのことを指しています。それほど存在感のあるひとだったのです。

 篠竹さんは常連となった記者の顔は覚えても、名前を覚えることはほとんどなかったようです。僕も10年以上取材してきましたが、名前で呼ばれたことはありません。

 それでも、あるとき「お前はSに似ているな」と突然にいわれたことがありました。Sとは日大フェニックス出身で、K社で記者をしている大先輩のことです。前回このコラムで紹介した、新人の僕に仕事を教えてくれた恩人の一人。特に僕は個人的にも付き合いが深く、尊敬する兄貴のような存在です。

 ちなみに、Sさんと僕は容姿は全く似ていません。何をもって似ていると監督が評したのかは謎ですが、それでも監督が記者の一人にこういうふうに語りかけるのは珍しいのです。ようやく僕は記者として監督に認められたのだなとうれしく思いました。しかし、その年を最後に篠竹監督は定年によってフェニックスの監督を退任してしまうのです。

 とても残念なことがあります。僕がこの仕事を始めた91年以降、日大は甲子園ボウルに出場していません。僕は甲子園ボウルに出場した篠竹監督を一度も取材していないのです。その夢がかなうことはもうありません。

 監督。僕は新聞記者という立場で、甲子園ボウルでフェニックスを叱咤激励するあなたの姿を見たかったッスよ。

次回予告:記者の七つ道具

 記者には取材に必要な、いわゆる「七つ道具」というものがあります。この七つ道具も時代とともに様変わりしました。今の記者たちがどんな道具で仕事をしているのか、ご紹介します。

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