以前にこのコラムでメディアが使う大げさな表現には注意が必要ということを書きました。個人的に僕は記事を書くときに「満身創痍」という言葉の使用を避けるということも述べました。日常生活でもできるだけ使わないようにしている言葉があります。それは「忙しい」です。
忙しいという言葉は毎日何度も耳にします。人に会えば「最近どう?忙しい?」などとあいさつされることも多いです。そんな時僕はどう返事をしたらいいか困ってしまうのです。
僕自身のポリシーとして「寝る暇、食う暇、クソする(下品でごめんなさい)暇があるうちは忙しいと言うな」というのがあります。日常生活では仕事を始め、こなすことがたくさんあります。でも僕は睡眠時間も取れているし、食事も抜いてはいない。もちろん、トイレにもちゃんと行っています。これができている以上、「忙しい」とむやみに言うのは後ろめたい気がするのです。
長野オリンピックを取材したときは朝5時から夜の11時まで稼動して、それからようやくその日の初めての食事を摂ることができるという経験をしました。スーパーボウル取材では朝7時から夜9時ごろまで軽食だけで働くことも珍しくありません。これなら胸を張って忙しいと言えるのですが…
社会生活の中ではボランティアとして活動しなければいけない場面がいくつもあります。会社なら組合活動がそれにあたりますし、学校なら生徒会や行事の実行委員がそうでしょう。日常生活でも地域の組合、保育園や学校の保護者会などがあります。僕自身もそれらの全てを進んでやるわけではありませんが、これらを「忙しい」という理由で断るのは気が引けるのです。
こういった活動は誰もが自分自身の忙しい生活のなかで時間を割いて参加するものです。それを自分だけが忙しいからといって断っては、参加している人に失礼な気がするのです。それではほかの人は暇なのかと意地悪な僕は考えてしまいます。少なくとも僕は他人様を暇だと決めつけるほど失礼ではないつもりです。
高校時代にある教師が「仕事を頼むときは忙しい人に頼め」といっていたのを思い出します。忙しい人ほどすぐに仕事をしてくれるからというのが理由です。自分が社会人になって仕事を始めると、この言葉がいかに的を射ていたかを痛感します。確かに優秀で業務をたくさんこなし、忙しくしている人のほうが頼んだ仕事をすばやく片付けてくれます。逆に、はたから見てそれほど忙しくなさそうな人ほど「忙しい」を口癖のように使いながらいつまで経っても頼んだ仕事をしてくれないことが多いようです。
昨年のことですが、スポーツ用品会社で有名な「ミズノ」の水野正人社長とメールのやりとりをする機会がありました。水野社長は受け取ったメールはどんなに短くても必ず返事を出すのがポリシーだそうです。僕が送った数通のメールにも必ず返事をくださいました。それも、必ず何らかの温かいメッセージを添えて。
水野社長にはジャパンタイムズが中心となって活動している外国人スポーツ記者協会の懇談会にご出席いただいたことがあります。そのときにはご自身のカメラをお持ちになり、最後に出席者全員で記念撮影をしました。驚いたことに、その写真は二日後にはジャパンタイムズのオフィスに郵送されていたのです。写真には直筆のカードが添えてありました。社長という多忙の業務の中でこれだけの気配りができる水野社長に感じ入った次第です。
「忙」という言葉は「りっしんべん」に「亡(ほろ)ぶ」と書きます。りっしんべんはその名のとおり「心」が立ったものですから、「忙」は「心が亡ぶ」ことなのですね。僕の先輩でも「忙しい」を連発する人がいました。取材から帰るなり、あいさつもなしに「あ〜忙しい」などといわれると、周りの人はいい気持ちがしないものです。そのくせ、アルバイトの子に任せればいいようなコピーとりを延々と続けている姿を見ると、「もう少し時間の使い方をうまくすれば、少しは忙しくなくなるだろうに」と思ったものです。
現代はとかく忙しいことが美徳のように受け取られがちです。それでつい何気なく使ってしまう「忙しい」という言葉ですが、それが周りの人にどのように受け取られるのか、今一度じっくり考える必要があるのではないかと思います。
次回予告:記者になったきっかけ
少し前のことですがSTオンラインの読者から「生沢さんはなぜ新聞記者を目指したのですか」とたずねられました。個人的なことになりますが、次回は僕が新聞記者になった理由をお話したいと思います。どんな人が新聞記者に向いているのかについても考えてみましょう。これから新聞記者を目指す方の参考になれば幸いです。
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