僕がスポーツ記者となってから今年で16年目を迎えます。その間、ジャパンタイムズではほんの一時期の異動期間を除いて運動部に所属しています。本業以外にも、フットボール専門誌や総合スポーツ誌に寄稿したり、テレビやラジオでNFLの解説をしてきました。
いまさらほかの職業に就くことは考えられず、僕はこの職業を選んでよかったと思っています。ただ、始めは必ずしもそうではありませんでした。
入社してからしばらくは英文記事の書き方を勉強するために、毎日プロ野球の記事を書かされました。記事を書くといっても取材に行くわけではなく、共同通信から日本語で配信されるプロ野球の記事を翻訳するのが毎日のルーティーンでした。
運動記事特有の表現を覚えるにはこれが必須の訓練だったのですが、毎日続けていればさすがにマンネリ化してきます。入社して3ヵ月ほどたったころでしょうか、僕は毎日の業務に倦(う)んできている自分に気が付いたのです。
いつまでこんなことをしていればいいのだろう。いつになったら思うように記事が書けるようになるんだろうと悩んでいました。スポーツは好きだったけれど、テニスやアメフト以外に情熱を注げるスポーツがなかったことも原因かもしれません。
同じ部署の先輩が声をかけてくれたのはそんなときでした。その先輩はプロ野球はもちろん、いろんなスポーツで独特の観点から読み物記事を書くのを得意としており、人柄も温厚で僕はとても慕っていた先輩でした。
帰る方向が一緒だったので、同じタクシーで帰宅したときのことです。タクシーの中で仕事の話になりました。僕が当時悩んでいたことを打ち明けると、その先輩は「ヒロシはアメフトが好きで、それが得意分野だというならその方向でとことん進んでみればいいじゃないか。自由にやってごらん」と言ってくれたのです。
日本ではアメフトはお世辞にも人気スポーツとは言えません。いくら僕が得意なスポーツだからといって、これを紙面に生かすことは難しいものです。得意なものを発揮できない仕事は面白くありません。それでも、先輩はあえて得意なスポーツを極めてみろと言ったのです。
そのころは、単に先輩が僕を慰めてくれているとしか思いませんでした。それでも、この一言で僕はずいぶんと楽になりました。僕は空いている時間にフットボール取材に出ることにし、記事も書かせてもらいました。好きなフットボールを取材できることで気持ちが楽になり、プロ野球やテニスの取材が楽しくなり、ずいぶんと仕事がやりやすくなりました。この言葉がなかったら、僕はいつかスポーツ記者を辞めていたかもしれません。
ところが、もっと後になってこの先輩の一言の本当の意味に気付いたのです。
アメフト取材で知り合った他社の先輩たちから仕事のノウハウを教わった話は以前にこのコラムで取り上げましたね。アメフトの取材を続けているうちに、専門誌から寄稿の依頼が来るようになり、それがきっかけでNFLを勉強することにもなりました。気が付けば、ジャパンタイムズ内外で「アメフト記者」としての地位が出来上がっていたのです。
1つのスポーツに詳しくなると、ほかのスポーツの見方が変わってきます。アメフトで培った知識の深め方が、ほかのスポーツに応用できるからです。たとえば僕はサッカーの知識はほとんどありません。それでも、取材に行けといわれれば行きます。その際に僕は自分がアメフトを取材するときと同じような事前調査をし、アメフトの試合を見るのと同じ感覚で試合の流れを読みます。違うスポーツですが、競技に共通する観点というものは必ず存在します。それは、1つスポーツを極めていればほかにも十分に応用できるものなのです。
今から思うと、悩んでいた新人時代の僕に声をかけてくれた先輩の真意はここにあったのです。先輩は好きなスポーツを取材することで仕事のストレスを発散し、そのスポーツを極めることでほかのスポーツへの見識も高めなさいと教えてくれたのです。今では僕も後輩と仕事の話をするときには「得意分野を作れ」とアドバイスします。得意分野をもつことがいかに自分にプラスになるかを実感しているからです。もっとも、いつも酒の席での説教になってしまうので、後輩たちの耳にどれだけ響いているのかは疑問なのですが。
次回予告:広島アジア大会
これまででもっともきつかった仕事は94年に広島で行なわれたアジア大会でした。初めて取材する総合スポーツ大会。見たこともないスポーツを取材するのはひと苦労でした。来週のコラムはこのアジア大会の思い出をお話します。
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