僕は仕事では体力的にも精神的にもあまり「キツい」と感じたことはありません。広島でカキにあたったときも翌日には仕事をしていましたし、1日の稼働時間が18時間もあった長野オリンピック取材でもそれほどキツいとは思いませんでした。本業以外にアメフトの仕事がたくさん舞い込む今の季節でもまったく平気です。もっとも、好きでやっている仕事で愚痴をこぼしては罰が当たりますけどね。それに、学生時代のアメフトの練習のほうがよっぽどキツかったし(笑)。
それでも、今までで一番キツい思いをした仕事をあげろといわれて思いつくのは94年の秋に広島で行なわれたアジア大会の取材でした。
94年といえば僕が新聞記者になってから4年目になります。そこそこ記事も書けるようになっていましたが。アジア大会のような総合スポーツ大会を取材するのはこのときが初めてだったのです。
野球やサッカーなどの取材と違い、総合スポーツ大会では一度に複数の競技を取材しなければなりません。これはもちろんオリンピックでも同じです。ただ、アジア大会では僕たち日本人には一般的になじみのないスポーツも少なくないのです。
このときのアジア大会でいうならカバディやセパタクローといったスポーツがそれにあたります。カバディとはいわば鬼ごっごのようなもので、「カバディ、カバディ」と言いながら相手を囲むように追い詰めていくスポーツです。インドでは国技となっているそうです。インドネシアなどで人気のセパタクローは例えるなら足で行なうバレーボール。最近ではセパタクローで試用する籐製のボールは、アジアンショップなのでインテリアとして売られています。
こういったスポーツはルールの勉強はもちろん、それが誕生した経緯や広く行なわれている国・地域などを調べることから始まります。野球やサッカーはもとからルールを知っていますし、何度も観戦経験があるので記事は比較的簡単に書くことができます。しかし、ルールもよく分からずに初めて観戦するスポーツを記事にするのは結構難しいのです。知識がなければ、やはり何も生まれてはこないのですね。
記事を書くのが難しいのは何もなじみの薄いスポーツに限りません。アジア大会では柔道やシンクロナイズドスイミングも行なわれたのですが、これらの競技は「見る眼」を養うまでに時間がかかります。柔道にはさまざまな技があり、それを見極めることができるようになるまでは相当の試合数を見なければなりません。シンクロナイズドスイミングも同じです。どのような演技が高い評価を受けるのかが分かるようになるまではかなりの観戦経験が必要なのです。
2週間にわたるアジア大会取材期間中は毎日が苦心の連続でした。さらに、競技は毎日のように替わりますから、前日に学んだルールやようやく身に付けた観戦のコツが次の日には役に立ちません。これにはさすがに参りました。ちょうど日程の半分を過ぎたころ、まだあと1週間もあるのかと思って目の前が暗くなったのを憶えています。
そういえば、ようやく全ての取材が終わって、最後の夜に先輩に連れて行ってもらった「お好み村」(お好み焼き屋さんの屋台村)で食べた広島焼きはうまかったなあ。
思えば4年目とはいえ、当時の僕は経験が浅かったのでしょう。今ならそれなりの経験も積んできたし、記事の書き方のバリエーションも増えてきました。適度に気を抜く(「手を抜く」ではないですよ)方法も覚えました。でも、もう一回やるかいって聞かれたら丁重にご辞退申し上げたいですね(おいおい、仕事だろッ)。
次回予告:新聞記者の夢
僕は新聞記者になったときにいくつかの夢がありました。仕事における夢は人によっても、職業によっても違うでしょうが、記者職を務める人は似たような夢を追うことが多いようです。その夢とは?
|