僕が後輩に与えるアドバイスで必ず言うことがあります。それは「本を読め」ということです。僕と飲みに行ったことのある後輩なら一度は耳にしたことがあるはずです。
僕自身も本を読むことは大好きです。NFLのシーズン中は資料を読み込むことが優先なので残念ながらそれほど本を読むことができませんが、オフの間は常にバッグやズボンのポケットに本を入れて持ち歩いています。
僕が本を多読するようになったきっかけは大学受験前に通っていた予備校の先生の一言でした。その先生はある日の授業中に「受験勉強をしている今は無理だろうが、大学に入ったら1週間に1冊のペースで本を読みなさい。そうすれば年間で50冊の本が読める。大学を卒業するまでの4年間で200冊。この200冊を読んでいるのといないのとでは社会に出てから大きな差となる」とおっしゃったのでした。
この言葉は心に残りました。それまではあまり本を読まなかった僕ですが、大学に入学したあとは先生の言葉を実践することにしたのです。
大学生になって最初に読んだのは司馬遼太郎の『竜馬が行く』です。笑われるかもしれませんが、最初の印象は「あっ、坂本竜馬がしゃべっている」でした。歴史の教科書に出てくる坂本竜馬は言葉を発しません。それが、桂小五郎や勝海舟らと会話をしているのがなんとも新鮮な驚きだったのです。
『竜馬が行く』がきっかけで僕は歴史小説を多く読むようになりました。歴史の授業で習った「本能寺の変」ひとつをとってみても、いろんな角度から取り上げた本があります。織田信長の暗殺という史実は実行犯こそ明智光秀ですが、それを仕掛けたのは実は部下の羽柴秀吉であるとするもの、公家の陰謀説と解釈するもの、徳川家康こそが黒幕だとするものまで多岐にわたります。それぞれが謎解きのようで小説ならではの面白さがあります。
社会人になってからは読む本の数を倍にし、1年間100冊読破を目標にしていたことがあります。6年間くらいは実行していたと思います。そのあとはフットボールでの仕事が増えてしまったので、資料を読むために読書量を減らさざるを得なくなりましたが。年間100冊読破を数年間続けてみて思うのは、月並みですが「本を読むことは大切だ」ということです。多読をすることによってたくさんのメリットがありました。特に僕は文章を書く仕事をしていますから、本の内容はもちろんのこと、文章テクニックも参考になります。前述の「本能寺の変」の例のように、一つの事象をいろんな角度から考える習慣もつきました。雑学も増えるので飲み会でウンチクをたれることもできます(笑)。
本とは不思議なもので、たくさんの読書をこなしてみないとその本当のよさは分からないものです。そして、そのよさというものも人によって異なるでしょう。僕も後輩に本を読めと言うことはできますが、本のよさを教えることはできません。これは実際に本人が体験しなければならないことだからです。
あと2ヵ月ほどでNFLのシーズンも終わります。そうすればまた僕は多読を始めます。すでに読みたい本はいくつか買い込んであり、本棚でひも解かれるのを待っています。早く本をたくさん読める時期が来ないかなあ。あっ、でもNFLのシーズンが終わってしまうのもさびしいなあ…。
次回予告:生沢版「僕はこんな本を読んできた」
読書の話題が出たので、今までの僕が読んできた本をいくつか紹介しましょう。作家の立花隆さんが『僕はこんな本を読んできた』という本を書かれていますが、それをまねてみます。
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