前回のコラムでは本を読むことについて書きました。今回は僕が今まで読んできた本の中で特に心に残っているものをいくつかご紹介しましょう。あくまで僕の趣味の範囲ですので、『僕はこんな本を読んできた』という本を著している立花隆さんのように皆さんの参考になるかどうかは分かりませんが。
『新・平家物語』(吉川英治):琵琶法師が語った「平家物語」を吉川英治が独自の解釈で書いた歴史小説です。いろんな作家が「平家物語」を題材にした小説を書いていますが、僕は吉川版が一番好きです。内容は皆さんもよくご存知の源平の戦いを描いたものです。
『新・平家物語』は若き平清盛の青春物語から始まります。やがて清盛は政権をつかみ、後白河法皇との緊密な関係と確執を繰り返しながら平家の栄華を確立します。その平家も源氏の木曽義仲に追われて没落。その義仲は粗暴さが京都の公家の反感を買って、これも短命に終わります。
義仲を京から追いやったのは同じ源氏の源義経。義経は戦の天才で、連戦連勝を繰り返しついに都を征服し、その余波で平家の残党を壇ノ浦で打ち滅ぼします。しかし、その義経も兄の頼朝によって攻め立てられ、逃亡先として頼った奥州藤原氏とともに滅んでしまうのでした。
政権を奪取して鎌倉幕府を開き、後に延々と続く武家政権の基礎を築いた頼朝でしたが、彼すらも幸福な人生を送るにはいたらず、源氏直系による鎌倉将軍は3代で途絶えてしまいます。鎌倉幕府は続きますが、実験を握ったのは頼朝の妻である政子の実家・北条家でした。
このような時代の流れを吉川英治は麻鳥という町医者の目を通して描きます。麻鳥は時の権力者の全てとかかわりあいながら、自身は市井の町医者として一生をおくりました。長い小説の最後に麻鳥が古女房とともに平家の栄華から滅亡、源氏の世の移り変わりを回想するシーンは感動的です。
「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり」の有名な一説で始まる「平家物語」は「無常観」をテーマにしているといわれます。高校時代に古文の授業でこれを習いましたが、僕には「無常観」という意味がピンときませんでした。ところが、この小説を読んだときに初めてその意味が分かったのです。次から次へと代わる政権。それを手にした誰もが幸せになるとは限らない。栄華は永遠には続かず、やがて没落の憂き目にあっていく。世の中のことは一つとして変わらないものはない。まさにこれが無常観の意味するところなのでしょう。
庶民としてひっそりと平凡に暮らしている麻鳥の人生の中に実は本当の幸せがあるのではないか。この小説を読むたびに思い知らされます。
『読むクスリ』(上前淳一郎):週刊文春で80〜90年代に連載されていたものを書籍化したものです。これはビジネスの世界で実際に起こった面白いエピソード集のようなものです。零細企業が世界で注目される技術を開発した、ちょっとした工夫でヒット商品を生み出したなどの実話がさまざまな分野にわたって書かれています。
連載がバブル景気のころから、それがはじけて日本全体が不景気にあえいだ時期にかかっているので、時代を反映したエピソードがたくさんあって興味深い本です。
例えば、こんな話があります。今のように寒い季節になると持ち歩きたくなる使い捨てカイロですが、始めにこの商品をヒットさせたのは実はお菓子メーカーでした。お菓子に同封する乾燥剤を製造する過程で発熱効果を発見し、これを商品化したのです。
この本は読んでいるといろいろとヒントが与えられます。僕の仕事はビジネスとは直接には関係ありませんが、文章を書く上でもいろいろと勉強になることが多いものです。
『声に出して読みたい日本語』(斉藤孝):これは数年前に話題になり、続編もいくつか出版されています。前述の平家物語もそうですが、僕らが耳にしている言葉でもその出展が分からなかったり、冒頭部分だけで続きを知らなかったりすることが多いですね。これを知るためにもこの本は一度は目を通すことをお薦めします。
『厄除け詩集』(井伏鱒二):井伏鱒二という作家はとてもユーモアにあふれた人で、彼の書く詩のなかには思わず笑ってしまうものもあります。中でも僕は「けふ、顎(あご)のはずれた人をみた」で始まる「顎」という詩が好きです。電車に乗っているときに正面にいた人のあごが突然外れたという内容の詩です。気の毒に思いながらも、井伏鱒二はその人のあわてぶりがおかしく、「私は電車を降りてからも/こみ上げてくる笑ひを殺さうとした」と締めくくります。
井伏鱒二は「歓酒」という漢詩を独自の日本語で翻訳しています。『サヨナラダケガ人生ダ』という有名なフレーズが登場するのがこれです。詩集というと敬遠しがちですが、ぜひこれは読んでみてほしい1冊です。
次回予告:夏目漱石考
もう少し、本の話を続けます。僕の最も好きな作家が夏目漱石です。『三四郎』は毎年必ず1度は読むようにしているほど好きです。僕が文章を書くことが好きになったきっかけも実は夏目漱石の小説でした。次回は夏目漱石についてお話します。
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