新聞には大きく分けて全国紙と地方紙(ブロック紙)があります。日本の全国紙は読売、朝日、毎日、産経、日本経済新聞などがあげられます。スポーツ紙を含めばその数はもっと増えるでしょう。もちろん、ジャパンタイムズも全国紙です。
日本は世界でも全国紙の多い国の一つです。ちなみにイギリスはタブロイド紙を含めば10前後の全国紙があるそうです。すべての国の新聞事情に精通しているわけではありませんが、ほとんどの国では日本やイギリスのように多数の全国紙があり、さらにそれを上回る数の地方紙があります。ただし、アメリカは少し事情が違います。
アメリカでは全国紙と呼べるものがそれほど多くありません。USAトゥデーやウォールストリートジャーナルは全国紙ですが、有名なニューヨークタイムズやワシントンポストですら一都市の地方紙と位置づけることができます。もっとも、アメリカ人記者に言わせれば、ニューヨークタイムズやワシントンポストは合衆国全土で入手できるので、全国紙と呼ぶべきだろうとのことです。
ここでは全国紙と地方紙の定義を議論するつもりはありませんが、少なくともアメリカでは地方紙が主力を占めているという見方はできるでしょう。そのアメリカの新聞事情について今回はお話したいと思います。
日本では新聞は家に配達されるのが普通です。読者の方には朝刊と夕刊をセットで購読されている方も多いでしょう。アメリカでは日本ほど宅配制度が普及していません。また、夕刊紙というものもほとんどありません。新聞はほとんどの場合がニューススタンドや道端の自動販売機で購入するものなのです。
僕が学生時代にアメリカに留学したとき、最も驚いたことの一つがこれでした。日本では朝起きれば新聞が届いているというのが普通でした。もちろん、アメリカにも宅配制度はありますが、ほとんどの人は通勤・通学途中にニューススタンドなどで買うのです。
値段が安いのもアメリカの新聞の特徴でしょう。新聞によっても異なりますが、1部50セント(約60円)というのが一般的のようです。そして、週末になると値段が1ドルになるというのも驚きでした。その代わり、日曜版には近くのスーパーなどで使うことのできるクーポンやクラシファイド(土地や車などの販売情報や広告、求人広告)が大量に含まれています。平日の新聞の3倍くらいの分量はあるでしょう。
さて、アメリカではどこに行ってもその街で発行している新聞というものが必ずあります。そして、一般に流通している新聞はいわゆる全国紙よりも街で発行する地方紙のほうが圧倒的に多いのです。
僕の住んでいたペンシルバニア州ピッツバーグ市には現在Pittsburgh Post-GazetteとPittsburgh Tribune-Reviewという二つの地方紙があります。もちろん、USAトゥデーやニューヨークタイムズも売っていますが、ピッツバーグ市民が一般に購読するのはこの二つの地方紙のどちらかです。むしろ、アメリカ人にとって全国紙は併読紙としての性格が強いようです。
ピッツバーグに限らず、どの街にも地方紙があり、大都市になればその数も増えていきます。ただし、その都市から一歩外に出てしまえばその地方紙は購読できなくなります。たとえば、テキサス州ダラスでPittsburgh Post-Gazetteを読むことはできないのです。アメリカでは地方紙文化が定着しているといっていいでしょう。
これはなぜでしょう。もちろん、地方紙が掲載するニュースは地元のものがメーンですから、そこに住む市民が読むのは当然のことでしょう。地方紙がここまで地元に根付いている理由はそれだけではないでしょう。
僕はアメリカ人の生活様式がこれに大きく関係していると思います。前回のコラムでも少し触れましたが、アメリカ人は生まれた州内で一生を終える人が少なくありません。日本では東京や大阪といった大都市に職場を求めて集まってくる人が多いですが、アメリカでは生まれた州の中で就職口を探すのが一般的のようです。
ピッツバーグで生まれ育った人は高校までは自宅近くの学校に通います。大学に進学するころになってようやく自宅から離れた場所へと移ることになるのですが、それでもピッツバーグ市内の大学に進学する人が多く、そうでなくてもペンシルバニア州内の大学に進む人が多いようです。そして、就職する際にもやはり地元の企業を中心に考えるのです。
ただし、州外に出て行く人がいないわけではありません。どうしてもニューヨークで勉強したい、ボストンでジャーナリズムを学びたいという人は積極的に州外に出て行きます。働き口をニューヨークやロサンゼルスといった大都市に求める人もたくさんいます。それでも、小数の大都市に集まりがちな日本に比べれば広い範囲に分散していることは間違いありません。
このアメリカ人の生活様式がスポーツのフランチャイズ制を支えているといってもいいでしょう。こういった生活の中から地元意識というものが育ち、それがスポーツチームへの愛着、ほかの地域のチームに対する競争意識へとつながっていくのです。日本でフランチャイズ制が根付いてこなかったのは、アメリカ人ほど地元意識が強くないからなのかもしれません。
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