プロ、アマを問わずアスリートはその鍛え上げられた肉体で勝負し、人はそこに垣間見える超人ぶりに熱狂します。アスリートが常人には真似のできないパフォーマンスを披露するからこそスポーツは感動を呼ぶのです。
しかし、アスリートには強い精神力も要求されます。競技レベルが高くなるほど強いメンタリティが必要となるのです。前回ご紹介したNFLのブレット・ファーヴ選手は強力な精神力を持つ選手のいい例です。
しかし、トップアスリートといえども、必ずしも精神面で強い選手ばかりだとは限りません。新聞記者という仕事をしているとどうしてもこういった選手に出会う機会が多くなります。そして、そのたびに「そんなんだから勝てないんだよ」とつい辛口批評をしてしまいたくなるのです。
昨年行なわれたトリノオリンピックで、記者会見中に幼少時に亡くした父について言及されたフィギュアスケートの安藤美姫選手が号泣するというハプニングがありました。このニュースを聞いた瞬間に僕は安藤選手がメダルを取れないだろうなと思いました。
肉親を失う悲しみは経験した人でなければ分かりません。安藤選手が父を亡くしたときの心痛を思いやると同情の気持ちを禁じえません。しかし、大きな大会を前にした公の記者会見で涙を見せるというのはトップアスリートのメンタリティとしては弱いと言わざるを得ないというのも僕の意見です。世界のトップアスリートが集うオリンピックでは精神的に弱い選手は淘汰(とうた)されます。厳しいようですが、これが勝負の世界です。
安藤選手の父について質問した某テレビ局の記者がどのような意図でこれに言及したかは分かりません。もし、記者の属するテレビ番組を感動ものにしたてようという下心があったならばこの記者のやり方こそが唾棄(だき)すべきものです。それを差し引いても、僕は安藤選手が面前で号泣した弱さが気になってしまうのです。
アメリカンフットボール関係者とのある会合でこのことが話題になりました。僕は「記者会見で泣くようじゃメダルには届きませんよ」と発言しました。多くの人は「厳しいなあ」という意見でしたが、一人だけ、「同感です」と握手を求めてきた人がいました。彼はXリーグで強豪として知られるチームの監督でした。彼自身も監督としてだけでなく、現役選手として日本一になった経験があります。日常的にそういったレベルで戦っている人はやはりアスリートの精神的な強さの必要性について実感しているのでしょう。
しかし安藤選手は、トリノオリンピックでの挫折をバネにしてその後の世界選手権では見事に優勝しました。トリノで期待に反した成績に終わったことが彼女を精神的に一回り大きくしたのだと僕は思います。ですから、優勝した直後に見せた彼女の涙はすばらしく価値の高いものだったと言えるでしょう。
ビーチバレーで人気の浅尾美和選手も僕ががっかりしたアスリートの一人です。今年の夏に行なわれたある大会で、試合の直前に心無いファンに体を触られたことで集中力を乱し(これは彼女のコーチの証言です)、負けたことがありました。ここにも精神面の弱さが表れています。
誤解を招かないように言っておきますが、一番悪いのは浅尾選手の体に触ったファンです。これは明らかに犯罪です。こういったファンの行為は絶対に許されるべきではありません。
それを承知した上で、あえて厳しいことを言いますが、体を触られたくらいで試合に向けての集中力を切らすなと僕は言いたい。ビーチバレーというのはちょっと特殊なスポーツで、体の露出が大きいのも特徴です。選手が着用する水着にはサイズの上限が決められているそうです。つまり、あまり露出の少ない水着は着用してはいけないのです。それだけ、心無いファンの好奇の目にさらされることが多いのです。
ビーチバレーで競技する選手はこのことはあらかじめ覚悟しておかなければいけないというのが僕の意見です。それがいやならば浅尾選手のように写真集やDVDなど発売するべきではありません。彼女の水着姿を目当てに心無いファンが集まったり、ゲスな投稿マニアがビーチバレー会場に足を運ぶようになったことはこれまでに報道されているとおりです。マスコミの中でも純粋に彼女のプレーを取材しているとは思えない媒体があります。
もちろん、痴漢されることまで覚悟しておけとは言いません。男性ですらむやみに体を触られるのはいやなものです。試合前のテンションが上がっているときならなおさらです。それでも、不測の事態に動揺し、それが試合に影響してしまうようではトップアスリートとしては失格なのです。酷評に聞こえるかもしれませんが、常に勝つことを期待されるアスリートには必要な覚悟というものがあってしかるべきです。この覚悟がない選手はチャンピオンシップなどに届くはずがありません。繰り返しますが、それが勝負の世界なのです。
次回予告:やっぱり記者ほど素敵な商売はない
連載80回目を迎えるこのコラムも次回が最終回です。これまでのコラムの総括をして、そして、新聞記者という仕事の魅力をもう一度考えてみたいと思います。
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