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新聞記者の素顔

By Yukiko Ohmura / 大村 由紀子

このセクションでは 「ジャパンタイムズの記者たち」と「彼らの書いた記事」を紹介します。記事を書いた時のエピソードや、オフィスで一緒に働いている同僚しか知らない素顔もご覧いただけます。

(この連載は2004年に掲載されたものです)

Vol. 1 : ZEN-MASTER ERIC (2004年11月9掲載)

Writer's Biography
エリック プリドー

1970年、ニューヨーク市生まれ。アメリカ人とスウェーデン人のハーフ。1991年の初来日に続き、1997年に再度来日。1997年にコロンビア大学大学院のジャーナリズムスクールを卒業後、ブルームバーグに入社し経済ニュース担当に。その後、AP通信社の東京支社を経て、ジャパンタイムズの学芸部記者として活躍中(執筆当時)。JTの記者・写真家として活動を始めてからほぼ3年経つが、その間「楽しくなかったことはない」と本人は振り返る。

My Article

思い出の記事:「男の子だって…」
"Boys will be ... "

(2004年8月15日付ジャパンタイムズより)

Behind The Scene * 思い出の記事執筆時のエピソードを記者が語ります。

[ジャパンタイムズ・学芸部記者]エリック・プリドー談

TVでたまたまセンターガイを見て、彼らの存在を知りました。最初は、「なんてカラフルな人たちなんだ」って感想で。でも、はじけているなかにも何か、日本のジェンダーへの認識の変化みたいな社会的なものを感じましたね。

で、いざ取材をしようと思って、渋谷の街にくりだしました。でも、もともと渋谷は嫌いな街で、うるさいし混んでるし。それに加えてものすごく体調が悪くて(後に病院行きとなった)かなりつらい取材になりました(笑)。

しかも、ガイがいる当てなんてないもんだから、とにかくセンター街を行ったりきたりして、ヤマンバの子たちに話を聞いたりもしたんだけど、なかなかお目当てのガイには遭遇できなくて。その間、怪しげな人たちに話しかけられそうになったり、「うせろジジイ」的な扱いうけたりと、なんか傷ついちゃったな〜(笑)。

で、6〜7時間ぐらい右往左往したんだけどガイには会えなくて、もうあきらめるとこだったんだけど、たまたまそのときロッテリアの二階から外を見たらなんとガイが道端でパラパラ踊ってるのを発見して、急いで外に飛び出していって。それが記事でインタビューした彼だったんだよね。で、彼と、一緒にいた彼女に話を聞かせてもらえることになって。やっと念願かなったわけです。

とにかく、取材そのものより、それにたどり着くまでが大変だった。なにせ、渋谷の街と人が、まるで別世界のもののようで。ブレードランナーって映画知らない?あんな感じで。マジでビビったのが、女の子二人に話しかけたとき、そのうちの一人が、口の中に蛍光に光る電動ライトみたいなものを入れてて、それがピンクやら緑の光を左右に放つんだよね。口の中にだぜ?!あ〜もう、体調悪いし、幻覚を起こしているに違いない!!って思ったね。

で、結局大熱で病院送りになったんだけど、3日間うなされてたよ。とにかく、あの派手派手の服装をしたギャルやらヤマンバが夢の中で大暴れだった。これが一番つらかったな(笑)。

Inside Out * 思い出の記事執筆時のエピソードを記者が語ります。

日本人の血が混ざっているとしか思えないような流ちょうな日本語を操り、今の日本人に欠けている奥ゆかしさや遠慮深さをかもしだすエリックだが、彼は正真正銘、バリバリのアメリカ人である。そんな彼の初来日前後のエピソードをかいつまんで紹介します。

NIHONとエリック:小学校高学年のころから日本という国に興味を持ち始めたエリック。だがそれは、アニメや漫画といったことにではなく、「目覚しい戦後復興をはたした強国日本と、その世界における経済的役割」といったことにだったとか(さっすがエリック・・・大学に一年早く入学できちゃうだけあるね〜)。だが、時は80年代、まさにeconomic monsterとして日本が頭でっかちに世界中でジャパンマネーをひけらかしていたころ、同時に日本は世界中からさげすまれてもいた。同じくエリック少年の日本への興味も、中曽根首相(当時)の心ない人種差別発言後、次第に薄れていった。しかし、高校生のころ、禅と空手を始めてから、また日本熱が復活。やがて大学に入学し日本語も学び始め、21歳のとき、JETプログラムでの日本行きを決意。空手の先生が山形県の新庄出身だったこともあり、JETの面接官に行き先を聞かれると、迷いなく「新庄」と答えた彼(またまた渋いぜエリック〜)に、面接官が一言、「どこそれ?…」。

NIHONとエリック:JETでの面接後、エリックは「待ち」リストに載せられ、軽く憤慨したそうだ。なんでも、JETに応募した友達仲間では彼一人が即決ではなかったらしい。「やっぱり、人種差別なんじゃないの〜」なんて勘ぐっているうちに、無事新庄行きが決定。しかし、それでも「待ち」リストに載せられたことへの心のしこりは残ったままであった…とはいえ、あれよあれよという間に雪国に到着。冬は嫌いじゃないというエリック、しかし…家の中に暖房がないって、ど〜ゆ〜こと?!なんで俺、家のなかで白い息吐いてんの?!なんで家の中で服二枚重ねして帽子なんかかぶっちゃってんの?!と、かなりびっくりしたそうだ。とはいえ、食べ物も口によく合い、塩がちょっと多いこと以外は、魚と野菜中心のヘルシーな食生活は大変気に入ったそうな。

NIHONとエリック:しかし冷たい新庄の冬とはうらはらに、町はエリックを心温かく迎えてくれた。毎日毎日彼を家に招待してくれてもてなしてくれ、「ここにはどうやって行くの?」と尋ねれば連れて行ってくれる新庄の人たちのあまりの親切さに、初めはとまどいすらあったエリック。「家と学校と空手の道場の間、歩くのが大変だ」なんてこぼしちゃったら、生徒が自転車をくれたことも。「ひねくれもののニューヨーカー(本人談)」のエリックには、当初こういった行為にどんな裏があるのかと考えたものだったが、やがて彼は、「あぁ、この人たちは本当に正真正銘の親切だけでこういったことをしてくれているんだ」と心を開いていく。と同時に、それは彼が持っていた「日本」という国に対しての心のしこりを徐々に取り除いてくれたのであった。JETプログラムでの二年間の滞在で、彼の考えは180度変わっていた。そしてアメリカに戻る日には、「今はアメリカに戻るけど、これは別に日本との永遠のお別れじゃないんだ」と再来日を心に描くまでになっていた。

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