家族の皆さんに暖かく迎えられ、さっそく夕飯を食べ、シャワーに入ると、スーザン先生が使っていたというお部屋に案内されました。
こう書くと、すべてが、淡々と行われたかのように思われるかもしれませんが、夕食のエビ・チャーハンに、まず感激。飛行機の上では、たいして好きなものもなかったし、お代わりしたくても伝えられずに、しばしの間ひもじかったので、ガツガツと食べてしまいました。スーザン先生のご両親は、こんな小柄な(身長155センチ)の女の子が、みるみるうちに、チャーハンを平らげていく様子に、目をみはっていました。
「あたしは、エビが好物でね〜」
なんて言い訳していると、そのエビは、お父さんが今朝、海から捕ってきたばかりなんだと、スーザン先生のお母さんが教えてくれました。
「えー、漁師さんなんですか?」
と尋ねると、お父さんは高校の教師で、今は夏休み中だから、趣味でボートに乗ってエビを捕りに行くのだと説明され、「ほーっ」と納得。
ちなみに、私は、このステイの間に2度もお父さんのボートに乗って、海に出ることができました(エビ捕りは、手伝わなかったけれどね。食べただけで)。
食事が終わると、今度は、私専用のシャワー・ルームに案内されました。スーザン先生の家は平屋で、お部屋もたくさんあり、そのうえシャワー・ルームもいくつもあって、その中のひとつを自由に使うことができました。私は田舎者で、シャワーは浴槽の外にあるものだとばかり思っていたので、シャワーがお風呂の中についているのを見たときには、「なんだろ〜、これ?」としばらく使い方が分かりませんでした(苦笑)。
スーザン先生の部屋のベッドは、いわゆるクイーン・サイズのベッドで、広いのなんのって、つい最近まで、弟と一緒に2段ベッドで寝かされていた私にとっては思わず、トランポリン代わりに飛び跳ねたくなるサイズでした。ここで、また感激。
部屋を見回すとスーザン先生の写真がたくさん飾ってあって、お母さんが、一つひとつその頃のお話を聞かせてくださいました。
高校生のとき、スーザン先生はホーム・カミング・クィーン(その年に、もっとも優秀で、美しいと思われる女子生徒を投票で選ぶらしい)だったらしく、白いタスキのようなものを肩からかけている写真などがありました。私は「そんなものに、いちどは選ばれてみたいもんだね〜」なんてニヤニヤ笑いながら、きたるべき「ゼンゼンもてない学生生活」を予期できない、夢見る少女であったわけです。
スーザン先生のご両親はとても親切で到着した次の日から、いろいろな場所へ連れて行ってくれました。しかし、ことあるごとに、「あなた、よく、ひとりで日本から来たわね〜」とスーザン・ママはやけに感心していて、スーザン・パパも、そうだ、と言わんばかりに頷いていました。それは、若いのによくひとりで、という意味ではなく、そこまで英語がしゃべれないのによく来れたよね〜、という驚きに近いものであったような気がします。
いずれにしても、私はスーパーへ行っても、近くのビーチへ行っても、その広さ、大きさ、人の少なさに、いちいち、
「おー、これがアメリカなんだ!」
と大感激して安いカメラで写真を撮っては、1日何通も手紙を書いて、日本にいる家族や友だちに、そのことをこと細かに説明したものです。
町の外に出なくたって、家の中でも、テレビのチャンネルが50ぐらいもあることや、洗濯機は自分の家のものより倍も大きいこと、洗濯物は外に干す代わりに、これまたジャンボ・サイズの乾燥機であっという間に乾いてしまうこと、などなど、アメリカで生活している人たちにとっては、ごく当たり前のことが信じられないほど、物珍しく感じられました。
「アメリカってところは、日本とこんなに違うんだよ」そういう話が、みんなにしたくてたまらなかったという感じで、あっと言う間に2週間のホーム・ステイも終わってしまい、バージニア州での集中英語レッスンへ旅立ったのでありました。
つづく。
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