第6回目の留学日記で少しお話しましたが、ジョージ・スクールでは、放課後に数時間スポーツの時間があります。これは、日本で言えば、ちょうど部活のようなものですが、大きな違いは、シーズンごとに種目が変わるということです。
アメリカの学校は、9月に新学期が始まり、最初の学期 (first term = 3学期制度の場合、first semester = 2学期制度の場合)は、12月までです。
9月から12月は、
(男子:サッカー、フットボール、陸上)
(女子:テニス、フィールド・ホッケー、サッカー、チアリーディング、陸上)
1月から3月は、
(男子:水泳、レスリング、バスケットボールがあります。)
(女子:水泳、バスケットボールがあります。)
4月から6月は、
(男子:テニス、ラクロス、野球、馬術、ゴルフがあります。)
(女子:ラクロス、馬術、ゴルフがあります。)
こんな風に、いろいろな種目のスポーツを選ぶことができて、フィールド・ホッケーやラクロスのようなスポーツになると、1軍(代表チームという意味で、"Varsity" と呼ばれる)から6軍("C-squad" と呼ばれていた)まであります。
何しろ敷地だけは、ほんとうに広い学校なので、それぞれのチームにフィールドがあり、下級生でも待たされたり、球拾いなんてことはありません。
そして、私が初めに選んだ種目はテニス。日本で、数回やったことがあるしね、という理由です。
しかし、なぜかテニス・コートの数だけは、とても限られていて、チームに入れるのはほんの数人だけ。
「こういうのは、根性を見せるのがカンジン!」
なんて、数日間のトライアル(選手を選ぶテスト期間)の前は、やたら燃えていた私ですが、あっさり初日にリストからはずされるハメに!?!? この放課後のスポーツは、どちらかというと若い学生の健康維持が目的で、根性はあまり関係なかったようです。とほ。
同じ年に日本から留学してきたユミちゃん(東京ではモデルさんだったので、とってもキレイ)は、チアリーディングのチームに合格しているというのに、行き所のなくなった私は、アドバイザーのアネット先生に泣く泣く相談。
アネット先生は、
「フィールド・ホッケーならチームが6つあるし、大勢、人がいるから、いいんじゃないかしら?」
とアドバイスをくれました。
ちなみにアネット先生は、アイルランド人と、黒人と、アメリカ原住民の血を受け継いでいて、聡明さを感じさせるモスグリーンの目と、浅黒い肌と、カモシカのような足をした、たいへんな美人。彼女は、3軍と4軍のフィールド・ホッケーのコーチをしていましたが、大学生の頃も素晴らしいスポーツ・ウーマンだったそうです。
そこで急遽、アネット先生の特訓を受けて、私は、5軍と6軍が合体したチーム "C-squad"に入ることになりました。
さてフィールド・ホッケーをするには、まず、スティックが必要です。それから、マウス・ガードというボクサーがしているような歯のプロテクターと、シン・ガードというひざの下からくるぶしまでを覆うガード、スパイク、そして、ついでにウォーター・ボトル(水筒)も持ってくるように言われました。これらをすべてキャンパス内の購買(スチューデント・ストアー)で買って、マウス・ピースを熱湯につけて自分の歯型にすると、"C-squad" とはいえ、私は、いよいよフィールド・ホッケーをやるぞ〜という気分になってきたのでした。
練習は、放課後2時間ぐらい行なわれました。そして、毎週水曜日と金曜日には、他の学校との対抗試合。"Home game"(自分の学校でやるゲーム) と "Away game"(他の学校でやるゲーム) があって、"Away" のときは、1時間もバスに揺られてライバル校へ向かいます。(遠いときは、2時間かかったこともありました。さすが、アメリカ、とっても広い)。
でも、このバスでの行き来で、石黒はまた気苦労が絶えません。ただでさえ、車酔いするタイプなのに、英語が出来ないから、隣に座ったチーム・メイトとぜんぜん会話が成り立たないのです。
「この人、変な人。英語分からないのかしら?」
と思われているんじゃないかと、気になって気になって、ライバル校に辿り着くころは、もう、すっかり疲れていました。
それでもフィールド・ホッケーは、とても楽しいスポーツで、重心が低く(足が短いとも言う)、すばしっこい私にとっては活躍のチャンスがある数少ないスポーツでもありました。以降、3年間、私は、秋の "term" になると同じ仲間たちと、このスポーツに汗を流したのでした。
つづく。 |