女子マラソンの野口さんがアテネ・オリンピックで金メダルを取った次の日のこと。
なんと、ちょびつき筆者は、お財布や本の入ったカバンをそっくり、そのまま山手線に忘れてきてしまいました!!!
すぐ気がついて、JRの駅員さんに調査してもらいましたが見つからず、そのまま泣くなく会社の近くの三田警察署へ。
お財布の中身は、現金のみならず(といっても、夏目さんしか入っていないけど)免許証、保険証、クレジットカード、キャッシュカードと、目の前が真っ暗に!?
親切な警察官の方に銀行の電話番号を聞いて、言われるままにクレジットカードを止めたりしていたのですが、完全に魂の抜けた人間状態になった石黒さん。
けれども、この時、私の脳裏にあったのは、お金のことではありませんでした。
「あの手紙をなくしてしまった・・・・・」
ただ、そのことだけでした。
そんな宝物のような手紙の差出人は、10年前に私がニューヨーク(NYC)で出会った、ありちゃんという日本人の女の子です。
ありちゃんは、私が住んでいたビルと同じ110丁目の並びに一人暮らしをしていました。出身は東京ですが、おじいちゃまが白人なので、彼女はクウォーター。 灰色がかったグリーンの目をした、色の白い女の子です。
彼女は、当時、NYCのシティ・カレッジに通っていましたが、私の部屋の近所の和食レストランでウエイトレスをしていたので、話をするようになりました。
初めて彼女をレストランで見たとき、
"How lovely!"
(なんてキレイなひと……)
という鮮烈な印象を受けました。
その容姿といったら、同じ日本人でも、ちょびつき筆者なんかとは、ゼンゼン違います(笑)。
すらっと長い手足、真っ黒の髪、私の手のひらに入ってしまいそうなほど小さな顔、その顔を支えている細い首。
でも、それだけではありません。彼女には、女の私の目から見ても、言葉では表せないような神秘的な雰囲気が備わっているのでした。
人間は、自分の持っていないものに憧れる傾向がありますが、日本的なしなやかさ、奥ゆかしさ、静けさをすべて持ち合わせた彼女に、「ちょびちょびした」私は興味津々になりました。
すると、ある日、彼女は、自分はバレリーナなんだ、という話をしてくれたのです。
"I can totally picture you on the stage!"
(うーん、納得!)
私は、無意識の中で気付いていたことをはっきりと確認させられた気分でした。
鏡の前で何時間も踊る彼女は、表面的な動きの美しさだけでなく、心の中まで見つめて磨いているのかもしれない・・・・・そうだ、ステージに立つ彼女は、隠しようもない独特の空気につつまれているに違いない、と私は、彼女を見るたびに、深い感嘆のため息をつかずにはいられませんでした。彼女の話を聞いていると、実際にお姫様の役をいくつもやったことがあるということでした。
けれども、彼女は当時、経済的にとても厳しい生活を強いられていました。家賃、学費、衣装代(彼女は、自分の舞台衣装をほとんど自分で作っていました)をすべて自分で払っていて、私の近所のレストランに来る前は、高いチップをもらえるレストランで仕事をしていたという話でした。
しかし、こういったニューヨークのレストランの多くは、地下室を貯蔵庫として使っているので、ありちゃんは、地下室から1階のキッチンへ、重たいお酒の瓶や食料を持って、何度も往復しなければなりませんでした。そうしているうちに彼女は、バレリーナとしては致命的な腰の怪我をしてしまったのです。
ちょびつき筆者は、自分が不治の病を治せる名医で、彼女の腰のけがを治してあげられたら、と何度思ったことか! 夢を持って、それを一生懸命叶えようとしている人が、目の前で傷ついている姿を見ることほど、苦しいことはありません。
彼女は、何ヶ月も治療を続けました。立って練習できなくなってからも、床に座ってストレッチをしたり足を動かしたり、途方もない努力の数々。しかし、ついに、
"If you continue as you are, you may develop problems walking or bearing children in the future.
(このまま続けたら、歩くことや、出産に支障をきたしますよ)
という、最後のドクター・ストップがかかってしまったのです。
数ヵ月後、彼女は小さな包みを持って、私の部屋を訪ねてきました。
「かなちゃん、これを、もらってくれる?」
彼女は、そう言いました。
私が、包みを開くとトウ・シューズが入っていました。
「私、美術を勉強するために、もういちど、サンフランシスコの大学を受験するわ」
私は、黙って聞いていました。
「いつまでも、これを持っていると、バレエを忘れられないから……」
最後にありちゃんに会ったのは、彼女がサンフランシスコに引っ越す数日前のことでした。
カフェでお茶を飲んだとき、「あたし、今は、もう好きなケーキを好きなだけ食べられるのよ」
と、くったくなく微笑んだ彼女を見て、私は涙がこぼれそうになるのをこらえるのに必死でした。
お互いが暮らしていたビルを挟むブロード・ウェイの角で、ありちゃんを見送ると、彼女は、笑顔で手を振って、一度も振り返らないまま歩いて行きました。弱虫の私は、その後、自分の部屋まで、ずっと、ひとり、泣きながら帰りました。
彼女が居なくなってしまってからのシティは、寂しいものでした。実際、百万ドルの夜景でさえ、物悲しく見えるほどだったのです。
そんな彼女を想って書いた小説("One" というタイトル。邦題は『雪解道』)を、サンフランシスコに送った数日後に、彼女から一通の手紙が届きました。
ありちゃんは、その中で、こう書いてくれました。
「すばらしいお話を送ってくれて、どうもありがとう。本当の私はこんなに美しくも、立派でもないので、とてもはずかしいです。家庭教師のバイトから帰ったら、かなちゃんから大きな封筒が届いていたので、うれしくてすぐに開封して読み始めました。何度か泣きながら読み終えました。(中略)かおる(小説の主人公の名前)は、かなちゃんが私をモデルにしてくれたということで、私にはかおるの気持ちがよくわかるのはあたりまえなんだろうけれど、お話の中でジュンや伸一(小説の中の登場人物)が、かおるのことをよく理解してくれていてそれもうれしくて泣けてしまう。その時私のそばには誰もいなくて、一人ぼっちでつらかったから、かおるには誰かがいて良かった、誰かがいてうれしいのです。かおるとして悲しむ自分とそれを見つめる自分が同時にいる感じです。私にはいなかった理解者がかおるを通してやっとできたというのかな。その頃は1人で強がっていたけど、本当は弱くて逃げ出したかったのに、自分に甘えちゃいけないんだって必死に生きていたんだなって。今かおるに誰かがいて、私もその頃の若すぎた自分もすくわれたような気持ちです。かなちゃん、本当にありがとう」
私の稚拙な小説なんかより、何倍も何十倍も美しい手紙でした。以後、その手紙を肌身離さず持ち歩いています。
ありちゃんと最後に国際電話で話したときには、マーメイドの絵のプロジェクトに取り組んでいると話してくれました。
あれから10年経った今でも、そんなありちゃんは私にとって、マーメイドだけでなく、すべてのお姫様の役が、もっとも似合う女性です。
PS 上野駅に私のお財布を届けてくださった方、ほんとうに、ほんとうに、ありとうございました。あのお財布には、私にとって何よりも大切な手紙が入っていて、それが手元に戻ったことが、どれほどうれしいことか。日本のどこかに住んでいる親切な方に、心よりお礼申し上げます。
"Here's to women with dreams and the kind citizens of Tokyo!"
(夢を追い求める女性たちと心優しい善良な方たちに乾杯! 「子どもシャンペン」だけど。ちょびつき筆者、お酒飲めないので。笑)
つづく |