パート1:私のアレルギー
コロンビア大学に入学した当初は、うれしさのあまり、自分には極端に苦手なことがあるのをすっかり忘れていました。
実は、たいへんな数字アレルギーだったのです。英語ができないんだから、せめて数字ぐらい読めないという感じなのですが…とほほ。それに、細かく筋道を立てて客観的に物事を理解することが、極端に苦手でした(←過去形にしていいのか、石黒?)。今でも、予算作成の時期が来るたびに、会社を辞める、やめないの騒ぎを起こしては、同僚に呆れられているというお粗末さでございます。
案の定、大学では、そんな様々なアレルギー(?)が原因で、3度教授に呼び出されたことがありました。心理学、日本文学、それから経済学の講義を受講したときです。私のアレルギーチェックにおそるべき反応を表した3大悲劇です。
心理学は、人の心の中を読むという点で文学と似ているから、得意な科目かも、と思って取ったのですが、私の選んだクラスは"physiological psychology"(生理学からみた心理学)という実に変わった分野で、膨大な時間をネズミの実験に費やさなければなりませんでした。
こんなにか弱くて(?)、デリケート(!?)で若い女の子に、ネズミの実験をさせるコロンビア大学を恨めしく思いました。赤ちゃんの頃、山梨県の北巨摩郡でヤマネ(ネズミのようなものか?)に襲われそうになった経験があるからと言って、ネズミの行動を何時間も観察し記録して、数字からそのパターンを導き出すなんて、そう簡単にできるものではありません。
それでも最初のうちは、
"Hey, Micky baby, don't you want to have a little bit of my sugar water?"
(あたしの、かわいいミッキー・マウスちゃんや、お砂糖の入ったお水をちょっと飲みまちゅか?)
なんて、おろおろしながらも、何とかネズミを操ろうとしていたのですが、ネズミは思うように動いてくれません。
"So what the hell are we gonna ever learn from this goddamn lab?"
(だから、このわけの分からない実験から、いったいあたしたちが、何を学ぶってのさぁ!)
と、私がイライラして言うと、ヒュー・グラントのようにハンサムなパートナー(実験はたいてい二人一組でやります)が、ずれたメガネを直しながら、
"Well, we are supposed to learn how to make people want to quit smoking, amongst other things."
(えーっと、例えばさ、どうやれば人間が禁煙したくなるか、とかだよ。)
と、教科書どおりの答えをしてくれました。
こんな調子でしたから、中間試験では、100人を超えるクラスの中で下から5番以内の成績を取ってしまい、教授に呼び出されたのです。
"Just a thought, but perhaps, next time, you might consider coming to see me. You know my office hours, don't you?"
(石黒さん、オフィス・アワーをもっと活用なさったら?)
と教授。でも、ふと見ると、教授のデスクには鬼のような量のたばこの吸殻が!?
「なーんだ、ネズミを使って禁煙の実験をして、結局ストレスをためて、たばこを吸ってるじゃない」
と勝手に決めつけて、反省するどころか
「こんな実験は、役に立たないに違いない!」
と憤慨していました。(←逆切れ?)
それでも、所詮は小心者の筆者。最後は、ぎりぎりの成績を取って単位をもらいました。
次の呼び出しは、文学好きの私としては意外や意外、日本文学のクラスでした。これも100人近くの受講者がいる講義でしたが、中間試験では、その中でほぼ最低の点を取ってしまったのです。
"Kana, for every class, you're always well-prepared. What happened?"
(加奈さん、授業にはちゃんと準備してきているって分かっているよ。なのに、今回はどうしたのかな?)
と、同情に溢れる声で、親日家の教授が聞いてくれました。
志賀直哉や泉鏡花などは自分の好きな作家でありながら、その作品を英語で読むとなると、不思議なことに最後まで違和感を拭えなかったのです。また、自分の母語で書かれている文章を、フランス哲学を使って分析するなどという客観的な視点は、どうしても持つことができませんでした。
最後は、経済学の講義でした。きのうは財政、今日は福祉と、社会の問題を数字を使ってケース・スタディする能力が私には完全に欠けていました。よって、このクラスの中間テストでも最低点を取り、教授のオフィスに呼び出されました。
「AということがBという場所で起こった。そこにはCという要因がある。それゆえに、Cが存在するDという場所でも同じことが起きる可能性がある。しかし、CはAが起きるための十分条件ではないから、Dをさらにリサーチする必要がある。それには、Eという別の場所での事例が参考になるだろう。さらに……」 こういった頭脳明晰な教授の説明を聞きながら、
"I just don't get this."
(こればっかりは、どう逆立ちしても理解できない)
自分の思考回路のシャッターが降りるのをはっきりと自覚した筆者なのでした。
パート2につづく。 |