経済のクラスの単位を落としそうになっていたとき、授業を終えてブロードウェーをとぼとぼと歩いていると、今回ばかりはダメかもしれない、という絶望の気持ちでいっぱいになりました。女性の最大の敵は、"boredom"(退屈)だとかよく言いますが、この時の私には"despair"(絶望)こそが最大の敵ではないかと思えました(苦笑)。
「ただいま〜」
ヨロヨロしながらアパートにつくと、たまたま学校が休みで高校の寮から遊びに来ていた弟と、当時のボーイフレンドのまっくんが心配そうな顔で出迎えてくれました。
「どうしたの?」
いつもとまったく顔色の違う私を見て二人が言いました。
「べつに……」
いつも、3人前ぐらい食べる夕飯にも、たいして手をつけないので、まっくんがもう一度聞いてくれました。
「授業で、何かあったの?」
それで、ようやく私が、経済学の単位を落としそうだという話をすると、まっくんは少しだけ微笑んで言いました。
「じゃあ、僕が教えてあげるよ……」
まっくんは、私と違って理論の鬼。数学や経済が大得意でした。クラスで1番を取るのはもちろんのこと、教授に対しても次々に斬新なアイディアを提案するほどです。
そんなまっくんのことを「すごいなぁ」と思いながらも、心のどこかで「ぜったい負けたくない」という気持ちがありました。若かった私は、世の中すべてが勝ち負けの問題ではない、と頭ではなんとなく分かっていても、まっくんと自分をいつも比べていました。
彼がSchool of Engineering(工学部)だったせいでしょうか。tangibleな(手で触れてみることのできる確かな)もの、専門的知識や学校の成績など、その価値を物差しで測れるものを、たくさん持っているように見えました。
それに引き換え、文学部の自分はintangibleな(手で触れることができない)ものしか持っていない。もしかしたら、そのintangibleなものも自分は持っていないのではないか、という不安さえ感じていました。
けれども、背に腹は変えられません。こんどばかりは、素直にまっくんの親切な申し出を受けるしかありません。
本当だったら、こんな親切には、集中豪雨のような感謝の涙で報いなければならないところですが、当時の私は、ジェームズ・ディーンのRebel Without a Cause『理由なき反抗』の"without cause"(理由なき)という部分だけを真似したような(=反抗しているときのクールでイカしたジミーの雰囲気は欠如しているが、文字通り理由なき、意味不明な反抗をしていた)、たちの悪い逆ギレを繰り返しながら、コロンビアの神童まっくんから直々に経済学の特訓をしてもらったのでした。
そして、この強力な助っ人のお陰で、次の中間テストではなんとクラスで1番を取ってしまったのです!(先生には、そーとー怪しまれたけどね。それに、期末ではまた最下位のほうになってしまったしぃ)
あれから10年以上が過ぎました。あれほど、まっくんとの勝ち負けにこだわっていた私は今、不思議なことに、勝ち負けはそれほど重要ではないと思っています。社会に出て働いていると、目に見える物差しで測れなかったはずの自分の留学経験が、思わぬ場面で役立つことが何度もあるからです。
そこで、会社で部下が「勝ち組、負け組み(最近では負け犬)」「使える、使えない」なんていう話をしていると、お局オーラを身にまといつつ、いつもこう言って諭しています。
「勝ち負けの問題じゃないんだよ。地球の物差しで物事を測るんじゃない! せこいな」
「じゃあ、石黒さんは、何で測るんですか〜?」
「月の物差し! 月から来た『かぐや姫』だから。I am made for luxury. Don't talk to me about being useful or useless.(あたしは、もともとゴージャスにできてるのよぉ〜。使える使えない、なんて話は問題外だね〜)」
満面の笑みを浮かべて言うと、みんなそのまま無言で仕事に戻っていきます。ははは(←乾いた笑い)。
「石黒さん、『第3クレーター』に住んでいるらしいよ」
という、部下Sさんのひそひそ声が、その直後に背後から聞こえてくるんですけれどね……(笑)。
つづく。 |