私は、父の仕事の関係で、たくさんの馬たちと一緒に育ちましたが、家ではいつも犬を1匹飼っているだけでした。「寅年の加奈ちゃんが犬を飼うなんて、犬がビクビクしてかわいそう」と、祖母がよく冗談まじりに言っていましたが、どうもペットと私の関係には距離があり、お互いが、たがいを観察しあっているという感じがあります。
そんなところへ、2年前にアメリカから帰国した弟が、もう一匹犬を連れて帰ってきました。その後、弟は就職して会社の寮で暮らすことになったので、泣く泣く愛犬を両親にあずけることになりました。
こうしてわが家の犬は、もう15歳にもなる柴犬のジョセフィーヌちゃんことジョーと、アリゾナ生まれフロリダ州育ちの4歳のヨーキープー(ヨークシャテリアとプードルのハーフ)梅次郎くんとの2匹になったのであります。
どうして日本生まれの柴犬に、そんなゴージャスな名前をつけて、今セレブの間で流行しているヨーキープーに江戸時代の犬みたいな名前を付けたのか、とよく笑われますが、実は柴犬のほうの名付け親は、何を隠そうこの筆者。
アメリカの作家ルイーザ・メイ・オルコット(Louisa May Alcott)が書いた『若草物語(Little Women)』の登場人物で、作家志望のジョーという登場人物がいるのですが、彼女の名前はジョセフィーヌ・マーチ (Josephine March) 、愛称ジョー(Jo)。当時から作家になりたかった私は、元気はつらつとしていて、最後には自分の夢をかなえる憧れのジョーの名前を、愛犬に付けたというわけです。
ところがジョーというと、どうも男性の名前に間違えられがちで、「このワンちゃんは、やんちゃ坊主ですね〜」と、よく的外れなコメントをされたりしていました。
ついでに、梅次郎さんの方はウメさんと呼ばれているので「かわいいおばあちゃんですね〜」と、若い男の子なのに、たいへんな誤解をされております。
また、「この犬は、弟がアメリカから連れてきた犬なんですよ〜」と説明すると、たいていのゲストの方が、「へー、アメリカにもずいぶん日本の柴犬に似た犬がいるんですねー」と、連れてこられたのはジョセフィーヌに違いない、と確信しているよう…。「いや〜、アメリカから来たのはウメさんのほうなんですよ」と言うと、たいていの方は目が点になります。
ついでに、父も晩酌が進んでくると「うちの梅太郎がね…」と言って、名前を間違え始めるし、今まで、オリンピック選手として、また年を取ってからは監督として常に己や選手に厳しく接してきた反動なのか、ウメさんに対しては、もう、甘やかし放題甘やかしているという状態。馬はあんなにちゃんとしつけができるのに、どうしてウメさんのことはまったくしつけられないのじゃ、と、周囲があきれ返ってしまうくらい。
私が席を立っていすを引いたままにしておくと、ちょっと目を離しているすきに、ジャンプ力のあるウメさんは、私のいすに飛び乗ってさらには机の上へ!? 母が作った自分の顔より大きなフルーツケーキをさっと盗んでは部屋の隅に隠そうとしています。
こういった状況下では、通常、食卓の上にあがったウメさんが、こっぴどくしかられるべきなのですが、「カナチャン! テーブルを立つときはいすを引いたままにしないで、ちゃんとテーブルにぴったりつけるように戻してね!」となぜか矛先がこちらへ…。そのうえ「梅太郎(←「梅次郎じゃー」、と周りは叫んでいます)は賢いね〜。自分のエサは残しておいて、フルーツケーキも後で食べられるように隠してあるよ。小さい頭のくせに、ずいぶん計画的だね。よく考えているね〜」などと言いながら、父はカラカラ笑っています。
「この家は、何かが間違っている! 何かがおかしい!」と一人憤慨していると、母いわく、この間、父より重傷のゲストが家に来たとのこと。家の中で彼女の愛犬がウンチをするから、どうしようかと思っていたら、飼い主のマダムが「XXちゃん、よ〜くできたわね〜」と、ウンチしたことを褒めているから、仰天していすから落ちそうだったとのことです。いずれにしても、父のあの甘やかしぶりでは、そのマダムと50歩100歩かな、と絶望してしまう筆者です。
「ジョーちゃん、あの困ったサル(ほんとうは犬だけど)を指導してやってくださいよ〜」とため息まじりに、ジョフィーヌに頼んでみると、これまたindifferent (無関心)、そしてaloof (超然として)な様子で「あなた、私にみかんをくれるときは、ちゃんと薄皮もむいてよね」とでも言いた気な、きどった顔をしているのです。
「わが家のペットはどうなってるのじゃ〜」と嘆いていると、お友だちには「そんなペットがいるなら『吾輩は猫である』ぐらいの名作が書けるね、カナチャンも?」と、皮肉を言われているのでありました。トホ。
つづく
|